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关于中日同形语的研究论文

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关于中日同形语的研究论文

摘要:本文通过主要写的是通过分析中日女性职业观异同的原因,来对比中日女性职业观的相同点和不同点,最后分析对中国女性的启示。从以下几点进行了阐述:(1)中日女性职业观的相同点和不同点;(2)中日女性职业观相同点和不同点的原因:从中国和日本的社会体制、经济因素、两国女性的主观意识进行论述。通过以上几个方面深入探讨,探究中日女性职业观的异同,从而更好地探究中日两国社会体制、经济的不同,使得中国女性能有更好的职业规划;(3)对中国女性的启示。要旨本稿は主に中日女性の职业観の异なる原因を分析して、中日女性の职业観の共通点と相违点を対比して、最後に中国女性に対する启示を分析する。次の点から说明する。(1)现代における中日女性の职业観の异同;(2)中日女性の职业観の异同の原因:中国と日本の社会体制、経済的要因、両国の女性の主観意识から论述する。以上の点を踏まえて、中日女性の职业観の异同を探究し、中日両国の社会体制、経済の违いをよりよく探究する。中国の女性はもっと良い职业计画がある;(3)中国の女性への启示 共通点这一部分所写的就是:首先中国和日本的女性都有当家庭主妇的想法,其次,两国女性对婚后再工作的想法也基本一致。 共通点この部分は、まず中国と日本の女性が主妇になるという考えがあり、次に、両国の女性の结婚後の仕事に対する考え方もほぼ一致している。婚后工作的想法很多人对日本女性的固有印象是结婚后不工作,诚然,在过去几十年中,多数日本女性结婚后是不工作的,但也并不是我们所想像的那样嫁鸡随鸡、嫁狗随狗式的相夫教子,而是有选择的。日本的消费水平比较高,在日本,男性工资通常会比女性要高一些,这也契合了日本社会女性结婚之后,可以靠男方养活,而不用上班的可能,但是,如果男性的工资和自己相同或相差无几,那么,女性选择在婚后继续上班,以维持家庭开支的情况,也是非常多的。虽然现在,仍然为数不少的日本女性仍然会选择在结婚之后不工作,但是“日本女性结婚后不工作”的情况,随着社会的发展,已经相对变少。 在人口老龄化的情况下,日本参议院通过法律的作用发挥女性的能力,以应对劳动力不足,促进女性就业。由此可见,在政府的作用下也促使日本女性会后就业的想法。婚后工作的想法多くの人が日本の女性に対しての固有の印象は结婚後仕事をしないことである。确かに、过去数十年间、多くの日本人女性は结婚してから仕事をしない。しかし、私たちが想像していたように鶏肉と犬を嫁がせて、犬と一绪になるような相夫教子ではなく、选択がある。 日本の消费水准は比较的高い。日本では男性の给料は女性より高い。日本社会の女性が结婚した后、男性侧で养うことができ、出勤の可能性がないことを示している。しかし男性の给料が自分と同じであれば、では、女性が结婚后も出勤を続け、家计を维持する场合も非常に多い。今でも多くの日本人女性は结婚後は仕事をしないという选択をしているが、「日本人女性は结婚しても仕事をしない」という状况は社会の発展に伴って相対的に少し。人口の高齢化の下で、日本参议院は法律の作用を通じて女性の能力を発挥し、労働力不足に対処し、女性の就业を促进します。政府の役割の下で、日本人女性の就职を促す考えだ。中国女性婚后工作 在中国,女性婚后继续工作是理所当然的。特别是在香港,北京或上海等等生活成本高昂的城市,大多数已婚女性必须工作,以便为家庭获得额外收入。虽然在国内人们常说“干得好,不如嫁得好”。很多女性选择拥有自己的职业也是为了能让自己在精神上和经济上独立。让女性进入劳动力市场已经不再是一个难题,而我们更关注的是如何鼓励和支持女性向前迈进,成为高级管理层和董事局成员。特别是新时代下的女性,觉得家庭主妇才是这个世界上最辛苦的工作,她们已经不甘于做一名“全职太太”,只有工作和家庭两不误,女性的幸福感才会增加。工作会使得她们与社会紧密接触,更好的了解社会。另一方面,由于经济压力大部分年轻女性会为了分担家庭经济,大部分女性也会选择婚后工作。中国女性婚后工作中国では女性は结婚後も仕事を続けるのが当たり前である。特に香港、北京、上海など生活コストが高い都市では、多くの既婚女性は家庭のために余分な収入を得るために働かなければならない。国内ではよく「よくやったほうがいい」と言われているが。多くの女性が自分の职业を持つことを选んだのも精神的、経済的に自立するため。女性を労働市场に参入させることはもはや难しい问题ではなく、女性の前向きな迈进を奨励し、サポートする方法で、上级管理层と取缔役会のメンバーになる。特に新时代の女性は、専业主妇こそが世界で一番つらい仕事だと思いる。彼女たちはもう「専业主妇」に甘んじず、仕事と家庭だけが间违いなく、女性の幸福感が増します。仕事は彼女たちを社会と密接に接触させ、社会をよりよく知ることができる。一方、経済的なストレスのため、多くの若い女性は家庭の経済を共有するために、ほとんどの女性は结婚後の仕事を选択する。不同点 虽然中日两国女性都主张做家庭主妇或者婚后工作的观念,但是由于很多不同的原因也使得两国女性在职业观上有了本质上的不同。这一部分主要讲述中日女性对于事业型女性的不同想法。不同点中日両国の女性は主妇や结婚後の仕事に対する考え方を主张していれるが、多くの异なる原因で両国の女性は职业観において本质的な违いがある。この部分は主に中日女性の事业型女性に対する考え方を述べている。 事业型女性 (1) 日本女性的确有出去工作的意识,但并不想当正式员工。正式员工,在日本也是一个有意思的名词。过去一个员工选了一家公司,很少会思考跳槽的事情,正式员工就意味着终身雇用,意味着稳定,但与此同时也等同于牺牲了许多个人时间,要承担更多的责任。简单来说,就是“事业”和“赚钱”的差别。如果夫妻双方都是正式员工,家庭的事务很难顾及。在需要收入又不想成为社畜的情况下,非正式员工的身份更受女性欢迎,因为她们总是被赋予更多的照顾家庭的责任。与其说女性“成为不了”正式员工,不如说她们选择成为“非正式员工”。说到底,她们工作并不是要成就自己的事业。(2) 在中国现有的收入分配与工薪结构,阶层利益分配,高房价、高物价,导致我们平常老百姓家里的男人所挣的钱,难以支撑一个家庭所有的开支。即便够,也会过得有点紧巴。更多的女性参与工作,为了赚更多的钱贴补家用,她们全身心的投入工作,变成有事业心的新时代女性。她们同时认为有事业心的女性更加有魅力,更加值得被尊重。在减少经济压力的同时,不用依附于男性,使得她们的家庭地位更加平等,夫妻关系更加和睦。所以更多的女性愿意为了赚更多的钱补贴家用自己的事业去打拼,并且乐在其中。她们将“赚钱”和“事业”逐渐划等号,导致事业心也越来越重。 事业型女性1)日本の女性は确かに仕事に出る意识があるが、正社员になりたくない。正社员は日本でも面白い言叶である。过去の社员が一つの会社を选んだので、転职のことはあまり考えられませんでした。正社员は终身雇用という意味で、安定しているが、同时に多くの个人の时间を犠牲にして、より多くの责任を负わなければならない。简単に言えば、「事业」と「金储け」の违い。 夫妇が正社员であれば、家庭のことは考えにくいる。収入が必要で、社畜になりたくない场合は、非正规社员として女性に人気がある。彼女たちはいつも家族の世话をする责任を与えられ。女性は「正社员になれない」というより、「非正规社员」になりたい。结局、彼女たちの仕事は自分の事业を成し遂げるわけではない。 (2)中国の既存の収入分配とサラリーマン构造では、阶层の利益分配、住宅価格の高腾、物価の高腾によって、私たち一般庶民の男性が稼いだお金は、一つの家庭のすべての支出を支えるのが难しい。足りても、ちょっときついる。より多くの女性が仕事に参加し、より多くのお金を稼ぐために家计を助けてくれ。彼女たちは全身全霊で仕事に打ち込み、事业心のある新时代の女性になる。彼女たちは同时に事业心のある女性の方が魅力的で、尊重されるべきだと思っている。経済的なストレスを减らすとともに、男性に頼ることなく、彼女たちの家庭的地位がより平等になり、夫妇関系がより円満になる。だから、より多くの女性はお金を稼ぐために、自分の仕事を家计に助けてあげたいと思い、楽しんでいる。彼女たちは「お金を稼ぐ」と「事业」を少しずつ等号にして、事业心もますます重くなる。 不同点的原因社会制度:日本的社会保障制度种类繁多,结构复杂,主要包括养老保险制度、医疗保险制度、失业保险制度和工伤事故保险制度等。医疗保险制度主要包括健康保险、国民健康保险、老人保健制度所设置的医疗保险制度。健康保险是以各企业事业单位在职职工为保险人,在他们及其抚养人员伤病、死亡、分娩时支付保险金的医疗制度。国民健康保险是以从事林渔业的人员、个体经营者、小企业雇员、无业人员为对象的医疗保险制度、老人保健是向年龄在70以上的老人提供医疗费,所需70%由中央政府负担,其余的30%由地方政府负担。其中健康保险和国民健康保险一起构成了日本医疗保险制度的两大支柱。失业保险制度的被保险人包括全国各行业职工,部分行业和规模,所有企业都必须参加这项保险。农业渔业的个体经营者和雇佣人数在4人以下的小企业可以自行决定是否参加。该保险向失业者支付的保险金主要包括基本津贴、学习技能津贴、寄宿津贴、病丧津贴等。工伤事故保险制度分为业务灾难保险和通勤灾难保险。前者为工作时间内引起的受伤、疾病、伤残和死亡等事故发生时的赔偿;后者为通勤途中引起的伤害、疾病、伤残和死亡等事故发生时的赔偿。我国的社会保障体系,包括社会保险、社会救助、百社会福利、优抚安置和社会互助、个人储蓄积累保障。这几项社会保障是相互联系,相辅相成的。 1、社会保险:就是社保,含五个险种; 2、社会救助:是由政府对生活在社会低层的人给予救助,雪中送度炭,使人能活下去。社会救助的项目有:灾民救助、城市贫民救助、农村五保户救助、城乡特殊对象救助、流浪者收容等; 3、社会知福利是社会保障的最高层次,是实现社会保障的最高纲领和目标。它的目的是增进道群众福利,改善国民的物质文化生活,它把社会保障推上最高阶段;社会福利基金的重要来源是国家和社会群体。 4、社会优抚安置是版社会保障的特殊构成部分,属于特殊阶层的社会保障,是实现社会保障的特殊纲领。社会优抚安置目的是优待和抚恤;社会优权抚的对象是军人及其家属;社会优抚的基本特征是对军人及其家属的优待。可见中国的社会保障体系还不完善,存在覆盖范围窄、保障水品第、法律不够 健全、监察执法等一系列有待解决的问题。中国的年轻人会努力工作,为以后养老存够资金。社会制度:日本の社会保障制度は种类が多く、构造が复雑で、主に养老保険制度、医疗保険制度、失业保険制度、労灾事故保険制度などが含まれている。医疗保険制度は主に健康保険、国民健康保険、老人保健制度が设置した医疗保険制度を含みます。健康保険は各企业の事业単位で在职している従业员を保険者とし、彼ら及び扶养者の负伤、死亡、出产时に保険金を支払う医疗制度である。国民健康保険は林渔业に従事する人员、个人経営者、小企业従业员、无职者を対象とした医疗保険制度で、老人保健は年齢70以上の老人に医疗费を提供し、必要な70%は中央政府が负担し、残りの30%は地方政府が负担する。その中で健康保険は国民健康保険とともに日本医疗保険制度の二大柱を构成している。 失业保険制度の被保険者は全国の各业界の従业员、一部の业界と规模を含め、すべての企业がこの保険に加入しなければならない。农业渔业の个人経営者と雇用者は4人以下の中小企业が自主的に参加するかどうかを决めることができる。この保険で失业者に支払われる保険料には、基本手当、技能手当、寄宿手当、病気手当などが含まれている。労灾事故保険制度は业务灾害保険と通勤灾害保険に分けられる。前者は勤务时间内に発生した负伤、病気、障害、死亡などの事故の発生时の赔偿であり、後者は通勤途中に発生した伤害、病気、障害、死亡などの事故が発生した时の赔偿である。 我が国の社会保障システムは、社会保険、社会救済、百社会福祉、优遇配置と社会协力、个人贮蓄の蓄积保障を含む。これらの社会保障は互いに连络し合い,互いに补完し合うものである。1、社会保険:社会保険とは5つの危険を含んでいる。2、社会救助:政府が社会の低い层で生活している人を救助し、雪の中で炭を送り、人を生きていくことができる。社会救済のプロジェクトは、被灾者救助、都市贫民救助、农村五保戸救助、都市农村特殊対象救助、放浪者収容などである。3、社会福祉は社会保障の最高レベルであり、社会保障を実现するための最高纲领と目标である。その目的は道の大众の福祉を増进して、国民の物质の文化の生活を改善するので、それは社会保障を最高の段阶に上げる。社会福祉基金の重要な出所は国家と社会の群体である。4、社会の优遇措置は社会保障の特殊构成部分であり、特殊阶层の社会保障に属し、社会保障を実现する特别纲领である。社会的优遇の配置目的は优遇と扶助であり、社会的优待の対象は军人とその家族である。社会的优遇の基本的な特徴は军人とその家族への优遇である。 中国の社会保障システムはまだ完全ではなく、カバー范囲が狭く、水产物の第一、法律が不十分で、法律の执行など一连の解决が必要な问题があることが分かれる。中国の若者は一生悬命働いて、老後のために十分な资金を贮める。家庭经济的压力:在日本家庭中,多为女主人掌握家庭财政大权,负责安排与管理收入与支出。日本女人将细心与聪明的天赋发挥得淋漓尽致,仔细把握每一笔收入,合理安排支出,适当储蓄,为将来伴随孩子的成长带来的生活方式的变化以及自己和配偶老后生活提前定下长远规划。尽管男人理财会更大胆,更有开拓性,但是同时也伴随着风险。毕竟大部分家庭的主要收入还是来源于工资,而不是风险手段,因此女人理家更加合理和安全。善于管家计的女主人不但让钱花得明白,储蓄增加得确实,还能做到有张有驰,适当安排娱乐与放松,让家人协力共同节约的同时感觉快乐。日本的经济发展水平较高,男性的工资高,并且足以支撑家庭消费,日本女性的家庭经济压力较小。中国:中国女性婚后工作是必然的选择,因为劳力收入太低单靠男人无法养活家庭,工作可以保障婚后物质条件,也使得女性在离婚后有可以生活的保障。在中国的社会现实情况下想全职顾家的可行性几乎为零,所以女性婚后工作的想法也极为强烈。生活在经济体制和社会结构“两个转变”中的高度工业化、商业化的都市,作为新时代下的中国女性主动为家庭经济分担压力。60%女性任家庭“财政部长”。大多数女性都有过投资理财行为,基金、股票、房产、和商业保险是当前女性投资的四大热点。70%女性充当房奴在女性成为“家庭财政部长”时,她们也承担更多的经济压力。绝大部分人承担着婚后还房贷的压力,使她们不得不成为事业型女性。家庭经济的压力:日本の家庭では、主妇のために家庭财政の大権を握り、収入と支出の手配と管理を担当することが多い。日本の女性は细心で聡明な素质を発挥し、収入をよく把握し、合理的に支出を手配し、适切に贮蓄し、将来子供の成长に伴って持ってくる生活様式の変化と自分と配偶者の老後の生活のために前もって长期计画を立てる。男の投资信托はもっと大胆で、开拓性がありますが、リスクも伴いる。结局大部分の家庭の主要な収入はやはり给料から源を発し、危険な手段ではありません、そのため女の人の理家は更に合理的で安全である。管理人のやりくりが上手な女性主人はお金をはっきり使うだけではなく、贮金が确実に増えると同时に、游びとリラックスを适切に手配し、家族が协力して节约すると同时に楽しいと感じる。日本の経済発展水准は高く、男性の给料は高く、家庭の消费を支えるのに十分です。日本の女性の家庭の経済的圧力は小さいる。 中国:中国の女性は结婚後の仕事は必然的な选択である。労働力の収入が低いので、男性だけでは家庭を养えあない。仕事は结婚後の物质的条件を保障できます。中国の社会の现実的な情况の下で、フルタイム家庭を守る実现可能性はほとんどゼロだと思って、だから女性の结婚後に働く考えもきわめて强烈である。経済体制と社会构造の「二つの転换」の中で生活している高度工业化、商业化の都市は、新时代の中国女性として家庭経済の负担を主导している。女性の60%は家庭の「财政部长」である。ほとんどの女性は投资信托行为をしたことがある。ファンド、株、不动产、商业保険は现在の女性が投资する四つのホットスポットである。70%の女性が不动产奴隷として働いている。女性が「家庭财政部长」になった时、彼女たちも多くの経済的圧力を负担する。ほとんどの人は结婚後の住宅ローン返済の圧力を负担している。彼女たちは事业型の女性にならなければならない。主观意识日本女性的就业意识较为消极。在日本社会,从古至今流行着男人必须养家糊口的观念,男女性别分工意识始终很浓厚,尤其在过去评价女性的标准只能是“好媳妇”。“贤妻良母”,人们甚至会认为“良家女子”是不应该抛头露面,参加工作的。即使拥有一份职业也只能到结婚为止,一旦为人妻、为人母,理所当然就应该辞去工作,专心侍奉丈夫和孩子,料理家务。这种社会的思想一直影响着日本女性的职业观,使她们不愿意成为事业型女性。中国女性的就业意识较为积极。现代中国女性学历、收入和社会层次都比较高,在面对社会和家庭带来的经济压力,她们能更好的去适应。面对国家倡导的新时代女性她们可以融入社会的发展,面对家庭带来的经济压力,她们会积极地工作,并且更好的去发展属于自己的事业。乐意成为一个事业型的女性。同时由于男性的工资较低,经济压力大,他们也支持自己的妻子出去工作,从而减轻负担。主观意识日本の女性の就职意识は消极的である。日本社会では、昔から男性は家族を养うべきだという考えが流行している。男女の性别分业意识は常に强く、特に女性を评価する基准は「良い嫁」しかない。「良妻贤母」は、「良家の女性」が颜を出して仕事に参加するべきではないとさえ思われる。一つの职业を持っていても、结婚するまでは、妻となり、母となると、当然仕事をやめて、夫と子供に仕え、家事に専念するべきる。このような社会の思想はずっと日本の女性の职业観に影响している。彼女たちは事业型の女性になりたくない。 中国の女性の就业意识は积极的である。近代的な中国の女性の学歴、収入と社会のレベルはすべて比较的に高くて、社会と家庭の持ってくる経済の圧力に直面し、彼女たちはもっと良いのが适応に行くことができる。国家の提唱する新时代の女性たちに直面して社会の発展に溶け込むことができる、家庭の持ってくる経済の圧力に直面し、彼女たちは积极的に働い、しかももっと良い発展は自分の事业に属。キャリア系の女性になることを楽しみにしている。また、男性の给料が低いため、経済的な圧力が高く、自分の妻が働きに出ることを支持し、负担を軽减する。目的:之前的学者很少对比中日两国女性职业观的相同之处和不同之处,作者写本稿为了让中国女性可以更直观的对比两国女性的职业观,重新考虑自己的职业规划。(以前の学者は中日両国の女性の职业観の共通点と相违点を比较することが少なかったが、著者は本稿では中国女性が両国の女性の职业観をより直観的に対比できるように、自分の职业计画を改めて検讨したいと书いている。) 意义:本文通过对比中日两国的社会保障制度、家庭的经济压力和两国女性的主观意识去分析了两国女性职业观的不同,中国女性可以借鉴本文,重新考虑是否有必要为了薪资去日本工作,从而减轻经济压力的想法。(本稿は中日両国の社会保障制度、家庭の経済圧力と両国の女性の主観的な意识を比较し、両国の女性の职业観の违いを分析した。)对中国的启示当前,我国女性已经具有了较大的发展空间,很多有能力的女性都已经感受到了成功事业所带来的成就感与经济的支持。如今社会很多岗位都少不了女性的身影,她们成为社会发展的力量、行业的进步贡献了巨大的力量。从总体来看,中国女性的职业观比较积极,但是由于我国劳动力过剩,存在就业困难的问题。随着“全面二孩”政策的实施和知识经济化时代的到来, 男主外女主内的观念和社会性别分工不断转变。知识女性作为我国妇女中思想先进、文化程度高、追求独立和对职业生涯期望高的集体。她们不是仅限于居家做家务、相夫教子, 而是以自己的高学问、高姿态、优良素质来创造更好职业发展, 成为职场上优秀者, 展现出其魅力。然而, 在当今全面二孩政策背景下, 尽管知识女性拥有良好的知识技能, 甚至优于男性, 但知识女性自身附着自然成本和生育的不确定性, 给用人单位造成一定的用人风险, 致使她们失去就业发展优势。对于那些即将步入社会未婚的知识女性而言, 她们可能遭遇到比全面二孩政策没出来前更严重的隐性就业门槛和不公平待遇, 对于很多在职已有一孩的知识女性而言, 再次生育可能会让她们回归家庭,中断其中职场生涯,严重影响她们的职业发展, 不利于社会和谐与稳定的发展。因此, 研究知识女性就业问题, 对促进我国知识女性就业和稳定社会经济发展具有重要意义。

我最看不起你这种人,拿着父母的钱在外面疯玩,不学无术,毕业时倒想抱佛脚,你学日文啊?想往日本方面发展?就你这种处世态度?更会让日本人看不起。。。。。。。。。

我也是突然找到的一个网站,还不错。[日语论文]外来语の日本语化规则の习得について(日语论文) [日语论文]我国におけるゴミ処理问题と环境教育(环境相关日语论文) [日语论文]仙台の都市・居住环境の変化(日语论文)[日语论文]现代日本の韩国认识―大众文化の受容を手がかりに(日语毕业论文)日韩关系论文 [日语论文]现在の吃烟规制への动きの背景とその要因(日语毕业论文) [日语论文]学前教育における主要问题の中日比较研究(日语毕业论文)学前教育的中日比较研[日语论文](日语毕业论文)中国の台头と日中関系[日语论文]中日同形语の教学についてのアンケートと分析(日语论文)[日语论文]日本のドラマから日中の文化の差别を见る(日语论文)从日本的电视剧看日中的文化的差异 …………………………有很多内容,你自己去看看吧!可能会有你要的,如果有记得加分哦,呵呵。

关于日语研究论文

日语论文题目

学日语的朋友你们是否还在为选择论文得题目而烦恼呢?下面是我为大家收集的关于日语论文题目,欢迎大家阅读!

一、认知视域下的汉日场所惯用语对比研究

二、日语翻译实践中的误用表达分析

三、日语听力理解中跨文化交际意识的培养

四、重命名翻译的必要性——以语用等效观看日语电影片名翻译

五、日语陈述副词“とても”考察——以“とても”与日语可能表达的共现为视点

六、民族地区高校二外日语教学改革初探——以吉首大学为例

七、日语助言行为中句末出现的“配虑表现”

八、现代日本人の集団意识の変化について

九、浅谈日语中的模糊〈暧昧〉表达

十、高校日语专业期末测试项目分析的基础研究

十一、日语学习中的日语汉字分析

十二、关于汉日同形词“意外”的对比研究

十三、独立学院“高级日语”课程教学改革探索与实践

十四、体验式日语教学模式研究

十五、日语词汇对汉语的影响探究

十六、从四字熟语谈中日文化差异

十七、跨文化视域下中日敬语原则及翻译、表达策略

十八、中日对译过程中的“体”表现

十九、论日语教学的文化导入

二十、《源氏物语》中和歌汉译的比较研究

二十一、基于标准商务日语考试的商务日语教学评价与探索

二十二、中国日语学习者中日同形异义语的误用研究

二十三、中日同形词的习得与语言迁移

二十四、浅析标点符号的作用及翻译策略——以《且听风吟》的林少华译本为例

二十五、认知过程中提高日语词汇习得效果的方法探究

二十六、三语习得理论视角下英语专业二外日语教学研究

二十七、中日互动词“遗传”考辨

二十八、跨学科日汉翻译的实践探索

二十九、试论汉语直译成日语产生的损害面子行为

三十、科技日语资料的翻译特点

三十一、网络时代双向文化导入的日语教学

三十二、日语借词对汉语的渗透和影响

三十三、关于二外日语教学引入“微课”的探析

三十四、翻译教学中母语负迁移的规避对策

三十五、在节奏旋律中呈现语言的音乐美

三十六、日语自动词被动句和汉语领主属宾句对比研究

三十七、浅谈中国日语学习者对“态”的误用

三十八、高职院校日语专业校企合作双向参与的育人模式探索

三十九、高校日语教学中跨文化交际能力培养策略研究

四十、社会语言学视角下的'日本近代时期自称词复数形式研究

四十一、日语翻译语言的范化及特化现象研究

四十二、日语“新语”与“流行语”的比较研究

四十三、先行词为语段的“その”的功能研究

四十四、日语被动句在会话中的使用情况及功能分析

四十五、“理”与“理窟”——中日古代文论中的“理”范畴关联考论

四十六、也谈文体与翻译——兼与林璋商榷

四十七、论日语动词意志性特征

四十八、日语中命令句与请求句的对比研究──以「シロ」与「~てください」为例

四十九、日汉定中关系“V-N”型复合词比较──以日语“和语动词”和汉语“单音节动词”为例

五十、从中古汉语入声字看日语汉字词中的促音

五十一、日汉口译研究的扩展性观察与对比性思考

五十二、高结合度“形容词する”的语义功能新探

五十三、基于关联性理论的元话语推理制约性分析

五十四、论日语分裂句的定义

五十五、新建本科院校转型下日语专业发展的理论思考

五十六、中日商务洽谈中常见语用偏误研究

五十七、“全人教育”理念模式下日语翻译教学方法探讨

五十八、小组合作学习日语教学模式探析——以日本凹型文化的集团意识为视点

五十九、中日“婚嫁”忌讳语对比研究

六十、日语推量表达「そうだ」「ようだ」的教科书分析——以《现代日本语》《综合日语》《新编日语》为例

六十一、跨文化交流背景下中日语言差异产生冲突的问题因素

六十二、日语的民族表达及文化心理研究

六十三、恩惠意识下中日授受表现对比研究

六十四、浅析日本语言政策的统一性和多样性

六十五、日伪时期的语言政策研究

六十六、彝族撒尼民间叙事长诗《阿诗玛》在日本的译介与研究

六十七、基于社会需求调查的JSP课程教学设计研究——以商务日语课程的教学目标与教学内容分析为中心

六十八、浅析汉字“前”在汉日语中的空间认知语义差异

六十九、意识形态操控下梁启超对《佳人奇遇》的改写

七十、认知风格对日语学习者听力理解的影响

七十一、“左、右”空间隐喻概念的汉日对比研究

七十二、中日跨文化交际语用失误分析及对策

七十三、中日“虫”的语言意义认知与文化模式比较

七十四、日语相互动词研究

七十五、中国陶瓷典籍深度翻译的典范——论日本盐田力藏译注《陶雅新注》的价值

七十六、从话题出发看汉日语指示词照应功能之对比

七十七、日语写作中的误用现象及对策

七十八、“性向词汇”的汉日对比研究——以“善于交际、好接触的人”为中心

七十九、中日谚语比较视域下日本人的自然观

八十、刍议晚清日语译才应势而起之契机

八十一、翻转课堂融入大学公共日语教学的探索

八十二、日本语言推广教材的开发及其特点

八十三、商务日语口译特点及策略

八十四、论高校日语学习者的跨文化交际能力培养

八十五、日语流行语「草食男子」的语义扩展与认知

八十六、日语语言文体研究中的计量方法

八十七、日语专业创新创业人才培养模式的研究

八十八、作为高校日语教育参照标准的JF Can-do及其整合策略

八十九、《JF日语教育Standard 2010》对基础日语课程教学的启示

九十、从动词语义看日语“知る”和汉语“知道”的对译

九十一、日本传播渠道与寒山诗误读的产生

九十二、现代日本女性终助词使用变化趋势

九十三、日语动物谚语中“马”的含义

九十四、大连地区日语人才培养模式研究

九十五、源自唇内入声[-p]的日语汉字的ツ音变探究

九十六、《新版中日交流标准日本语》教材分析与改进对策

九十七、汉日外来语音系调整的优选论

九十八、认知语言学理论在日语专业基础教学中的应用

九十九、中日数字文化观比较分析

一百、农业科技日语术语汉译适应化现象分析

一百〇一、以就业为导向的高职商务日语专业课程体系建设途径探析

一百〇二、日语专业四级考试文字试题部分的内容效度分析

一百〇三、对汉源日语量词认知研究的思考

一百〇四、网络环境下大学生日语自主学习模式探索

一百〇五、从“胳膊拧不过大腿”和「长いものに巻かれろ」看中日“时务观”

一百〇六、浅议日语借词对汉语及日语教学的影响

一百〇七、高职院校日语选修课教学改革浅析

一百〇八、中日汉字词的研究以及教学策略

一百〇九、浅议日语拟声拟态词的多样性

一百一十、多媒体信息技术应用之高校日语“微课”教学方法探索

1、日语相互动词研究

2、中国陶瓷典籍深度翻译的典范——论日本盐田力藏译注《陶雅新注》的价值

3、“性向词汇”的汉日对比研究——以“善亍交际、好接触的人”为中心

5、意识形态操控下梁吭超对《佳人奇遇》的改写

6、翻转课埻融入大学公共日语教学的探索

7、基亍社会需求调查的JSP课程教学设计研究——以商务日语课程的教学目标与教学内容分析为中心

8、商务日语口译特点及策略

9、日伪时期的语言政策研究

10、中日“婚嫁”忌讳语对比研究

语言是一种文化现象,不同民族的文化反映在不同民族的语言之中,离开语言所依赖的文化背景,就很难真正学好一门外语。下文是我为大家整理的关于日本文化日语论文的范文,欢迎大家阅读参考!

论从日语构造和日语运用看日本文化

摘要:“人的思考习惯”是指说同一种语言的人们共同拥有的一种认知习惯的总和,它是人们每天无意识的习惯性的思考和行为模式的基本,这些集合起来就成了文化。总之,用某种语法构造说出来话的意思是以说话人的认知习惯为前提在文脉中产生的。在这里面,又是和作为文脉的文化联系在一起的。要弄清楚作为文化基本要素的人们的思考习惯,一个很重要的线索就是语言。

关键词:言语文化学;言语意识;言语表现;日本文化

牧野成一说过,言语文化学既不是用文化来解释言语,也不是用言语来解释文化。假定可以显示某种言语现象和文化现象有某种必然的联系,那就要通过明确地提出具体是在什么时候来证明言语与文化的有机性,有缘性。总之,所谓言语文化学,是一门以已经作为社会习惯确定下来的言语的,文化的各个特征为研究对象,通过和两者有关系的普遍的媒介物,达到科学的记述的目的。本文即从日语的言语文化分析的视点,弄清楚日语和日本文化是如何联系在一起的。

一、日语构造里的文化

(一)词汇与日本文化

作为单词的总和的词汇,可以说在相当程度上反映了使用者所处的自然环境,社会文化,以及生活在里面的人们的思考方式。

1.词汇中反映的日本的传统文化和外来文化的交错

日语词汇里,反映了日本固有的要素和外来要素混合的文化。例如:和语•汉语•洋语混在一起。比如我们仅限于衣食住方面的话,衣方面,有「着物」「ゆかた」「帯」「寝巻」和「シャツ」「パンツ」「パジャマ」等,食方面,有「米」「汁」「豆腐」「すき焼き」「酒」和「スープ」チーズ」キャンディー」等,住方面,有「玄関」「ふすま」「縁侧」和「ドア」「ベランダ」等。所有的都包含三种语种,这三种语种的竞争,正反映了日本传统文化和外来文化交错的姿态。正是这种二重构造才是日本文化的特征。

2.特殊的一群――拟情词(拟声词•拟态词)

金田一春彦教授认为,在很多言语的词汇体系中都是空白部分的拟情词的存在是日语词汇独特的一个特点。都说日语里拟声词和拟态词多,虽然不能说这是日语独有的特色,但是这种单词的多用是感觉的,非分析性的事物认识的一个例证。例如:イライラ•ムシャクシャ•ヤキモキ…等等,对外国人来说很难理解吧。ホットする•ハレパレとした気分•スッキリした•(胸の中が)モヤモヤしている•ウンザリだ•ガッカリだ……等等,总是把感情状态分得特别细,有时描写很激烈的动作的状态的语句非常丰富,被经常和频繁地使用。ショゲル•フサギコム•ムクレル•ムカツク•ジレル•イラダツ•侘ビル……等等,对于把这种不断地感情的摇摆的心情分得如此之细的日本人来说,如果让他们生活在没有拟情词的“意思世界”里的话,他们一定会感觉到非常痛苦。

(二)语法里的文化

1.语序

日语是所谓的SOV(主语+宾语+动词)的语序。即:不仅是句子的信息,句子基本的意思构造不到句末是不能理解的。例如:

彼女は日本语教师になりました。

彼女は日本语教师になりませんでした。

彼女は日本语教师になりたかったんです。

彼女は日本语教师になりましたか。

句子是记叙句,否定句,还是疑问句不到句末是不知道的。可以说一直到句末都有悬念。如果把句子的信息当作是内部的话,像日语这种语序的语言,到达内部的过程就不显得唐突,比较缓和。从听者来看,不能从句首就能把握整个句子,而是从外部慢慢地到达内部。

2.自动词和他动词的使用选择

(1)不使用“他动词句”而选择使用“自动词句”

お茶が入りましたよ。(自动词句)

お茶を入れましたよ。(他动词句)

这是说话人给对方倒完茶之后的场景。这个时候,不用他动词句「お茶を入れましたよ」,而是多用自动词句「お茶が入っていますよ。」通过用说“茶已经倒好了”这个显示结果的句子,来抹掉主语“我”,这是一种不涉及到是“我把茶倒好了”的说法。如果使用他动词的话,就成了包含有“我为了你把茶泡好了”这种自己的行为给对方带来恩惠的说法,会让对方不愉快。

(2)取代使用“自动词句”而选择使用“他动词句”

部屋を散らかしていて、すみません。(他动词句)

部屋が散らかっていて、すみません。(自动词句)

前者和后者都经常被使用。前者的他动词句子是说明把房间弄的很乱的是自己,有一种给对方带来不愉快而道歉的表达方式。后者的自动词句子只是说明“房间很乱”这个状态,至于是谁的责任则比较暧昧的说法。这种情况下,比起用自动词句,用他动词句对道歉的心情更强烈些,会给对方更好的印象。

使用自动词句还是使用他动词句有以下的倾向:

自己(动作主人)直接或间接的会给对方带来负面的影响的情况,如果使用自动词句,容易招来“回避责任”的误解,所以为了确实的给带来麻烦的对方传达道歉的心情,比起用自动词句,有更多的会选择使用他动词句的倾向;

自己(动作主人)特意采取给对方带来正面效果的行为的情况下,如果使用他动词句,可能会给对方一种“强加于人的好意”“自我主张”等的印象,所以更倾向于使用自动词句,而不是他动词句。

二、日语运用中的文化——言语

意识和言语行为(一)定型化的寒暄语――人际关系的润滑剂

所谓寒暄是指人和人见面的时候或分开的时候互相交换的礼貌的行为或语言。通过说这些话语向对方显示敬意或亲近的心情,使人际关系和社会生活顺畅。

说到寒暄语,包括:①人跟人见面的时候,“おはようございます”“お元気ですか”等;②表示欢迎的时候,“いらっしゃいませ”等;③分开的时候,「さようなら」「おやすみなさい」等;④回家的时候,“ただいま”“お帰りなさい” ;⑤出门的时候,“いってきます」”“いってらっしゃい”等;⑥吃饭的时候,“いただきます”“ごちそうさま”等。

日语中说这种固定的寒暄语是非常普通的习惯。 “毎度ご来店くださいまして有难うございます”“毎度ご乗车有难うございます” 像这种固定的寒暄语在日本社会中也是非常广泛地使用。而在很多其他语言中这种固定的句子是一个空白的部分。但是,对日本人来说,根据用不用寒暄语,用什么样的寒暄语,可以显示对人关系的很大的不同。有可能出现只是因为没有用寒暄语而导致人际关系的不和谐,而相反,也有只是一句寒暄语而成为点亮了对方心里的暖灯的情况。总之,寒暄语作为人际关系的润滑油被使用,如果没有寒暄语,就会成为一个很难居住的世界。

(二)支配敬语行为的心理

谁都知道,日语的敬语非常发达。尊敬人的心情在哪个国家都能见到,但是把它发展到整个语法和词汇里形成了完整的体系不能不说是日语的一个特色。在日语里,除了身份,地位等社会地位以外,职业以及相关的业务里自己从属的社会、年龄、性别等的差别等等这些要素规定了当事人的用语。不仅如此,这种不同,在谈话双方之间产生了落差的时候,必须选择可以均衡这种关系的话语。

一般使用的敬语的规则是,根据对方或话题中出现的事物跟自己的关系(上下•亲疏•利益关系),使用相适应的词句。当然也会考虑“待遇表现”或“品格语”。支配日本人言语行为的条件有很多,最主要还是由“敬意” 的表达方式和微妙的对人意识里的“心里距离”的拿捏这两种来决定的。总之,就是是否把对方和对象纳入“自己人”的范围,根据这种和自己心里距离的远近来决定采用何种用词。

三、结语

日语和日本人的意识互相影响,成为一体,形成了日本列岛上独自的一个精神空间。可以被称作“民族的精神空间”。这也同时可以称作“民族的言语空间”。“日本人像”也好,“日语像”也好都可以从中得到反映。本文以日语的言语文化分析为视点,从日语构造和日语运用这两个方面分析了“日语像”和“日本人像”。可以说通过一些词汇,语法和几个言语表达方面,一定程度上弄清楚了日语和日本人的认知习惯及日本文化是如何联系在一起的。当然,日语和日本文化的联系仅就在以上两个方面也都远远不止这些。例如,还包括日语中反映日本这个民族擅长和不太擅长的方面,日语中可以反映喜欢用自动词发想的日本人,授受动词的多用,被动语态的妙用,沉默的日本人,人称代名词的省略,暧昧表现,婉转的拒绝等等。这些都当作今后的课题来讨论。

参考文献

[1]佐竹秀雄, 西尾玲见.『敬语の教科书』[M]. ベル, 2005.

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[9]芳贺绥. 『日本人らしさ构造』[M]. 大修馆书店, 2004.

[10]渡辺実. 『日本语概说』[M]. 岩波书店, 1996.

浅析日本文化对日语成语的影响

摘 要: 成语是民族语言发展的产物,承载了丰富的文化信息,是语言词汇的精华。它就像一面镜子,清晰地反映出一个民族的文化特色。民族文化会在语言中留下深深的烙印,促使成语的形成。本文从自然环境、风俗习惯、宗教信仰三个方面论述日本文化对日语成语的产生、发展及形成所具有的重要意义。

关键词: 日本文化 日语成语 意义

“语言是文化的载体,是文化的积淀,更是文化的映像”[1]。语言中存在丰富的文化内涵。任何一种语言的产生、变化和发展都与其民族和国家的自然地理环境、社会文化和风土人情息息相关。正如日本语言学家森田良行先生所说:“言叶はそれを生み出した社会的文化であり、文化的视点を离れて言叶を考えることは生きた本当の言叶を眺めることにはならないであろう。”[2](语言是社会文化的产物,离开文化视点考虑语言就无法看到真正的语言)成语作为语言文化中文化性最强的一个部分,更是民族文化精华的体现。它就像一面镜子,清晰地反映出了一个民族的文化特色。

民族文化势必在语言中留下深深的烙印,促使成语的形成。学习和掌握成语既能提高语言表达能力又能增强文化能力,文化能力的增强必将有助于语言能力的提高。日本文化纷繁复杂,并且吸收多国文化的精华,拥有大量的成语。本文从自然环境、风俗习惯、宗教信仰三方面简述日本文化对日语成语的形成、发展的影响,引起人们对成语和文化之间关系的重视,进而更好地学习和理解日语成语,并在语言实践中准确地表达成语的意义,避免由于不了解日语成语的文化背景而产生令人啼笑皆非的错误。日本权威词典《国语大辞典》这样解释成语:“古人が作って、昔から屡々用いられて来た语句、合成语、熟语など二语以上が缠まってきた言叶。”(从古至今一直沿用的词句、复合语、熟语等由两字以上构成的语言)可见日语成语包括汉语中的二字四字词组、谚语、惯用语句、格言、歇后语等。

一、自然环境

“自然环境作为人类的生存空间,必将与该民族的文化特征有密不可分的关系”[3]。日本人自古以来生活在四面环海的岛国,盛产各种鲜鱼,从而形成了独特的“鱼文化”。从最普通廉价的「鰯」到最稀少昂贵的「鲷」都大量出现在成语中。「鰯の头も信心から」(精诚所至);「鲷の尾より鰯の头」(宁为鸡头,不为凤尾);「鲭を読む」(故弄玄虚);「鳗登り」(扶摇直上);「鲍の具の片思い」(一厢情愿);「虾で鲷を钓る」(抛砖引玉);「山芋が鳗となる」(鸡窝里飞不出金凤凰);「鲈庖丁」(尔虞我诈);「鼈が时を作る」(异想天开)等。正是因为“鱼”是日本民族饮食的主角,所以在日语成语中鱼的种类被详细地划分,各类鱼的形象特点也被刻画得淋漓尽致。因为日本的海产资源丰富,一年四季都能吃到新鲜的海产品,所以日本民族对食品调料便不像大陆民族那样急切和讲究。在日本很长时间只把「塩」和「味噌」作为调料品。「塩」是从海水中提取的,因此各家各户味道都一样。但是用大豆做的「味噌」每个人做的味道都不相同。如果自己做的「味噌」比别人的都香,就是非常自豪和骄傲的。于是便有了日语成语「出前味噌」和「味噌が上がる」(自吹自擂);「味噌を擂る」(阿谀奉承)。但是如果配方比例出了问题,「味噌」就会做失败,所以「味噌を付ける」就是“丢人现眼”的意思。此外,「味噌もくそも一绪にする」(好坏不分);「味噌が腐る」(指嗓音太坏)等。

日本列岛山多地少,自然环境特别恶劣,以种植水稻谋生。引水灌溉是种植水稻的重要必备条件,因此各家各户经常发生水源纠纷,成语「水挂け论」(争论不休)。日本民族以大米为主食,相关成语有:「他人の饭は白い」(家花不如野花香);「花より団子」(舍华求实);「朝饭前」(一蹴而就);「冷や饭を食う」(坐冷板凳);「饼は饼屋」(无论做什么事情还得依靠行家);「同じ釜の饭を食う」(亲密无间)等。

日本频繁受到台风、地震、海啸等多种自然灾害的袭击,古代日本民族对一切自然现象都十分恐惧、敬畏,他们认为人世间的一切都是有灵魂的,都是神的化身。日本民族信奉「神」「霊」「鬼」,认为「鬼」是「神」从天上、海上、山上派遣来到地上后的变形,它力大无穷、冷酷无情,非常可怕。由此产生「鬼に金棒」(如虎添翼);「鬼の空念仏」(虚情假意);「鬼の井沼に洗濯」(山中无老虎猴子称霸王);「心の鬼にする」(横下一条心);「鬼を酢にして食う」(天不怕地不怕)等。在威力无比的神和大自然面前,人要生存下来就必须祈求神灵的庇佑。日本全国各地遍布大大小小的「神社」,里面供奉着不同的「神様」,每年都要举行各式隆重的祭祀活动,日语称之为「祭り」。「最初の祭り」指非常隆重、热闹;而「後の祭り」指错过了时机,毫无意义。

自古以来,日本民族就在日本列岛上生存繁衍,岛国文化是日语成语的生命源泉。

二、风俗习惯

“风俗习惯是一个民族在特定的历史发展过程和地理环境中逐渐形成的,是文化形态的象征,涉及社会生活的各个领域”[4]。作为文化载体的语言必然会反映该民族的风俗习惯,并形成具有本民族特色的成语。

日本民族自古以来信仰「言霊」,认为语言具有不可思议的灵验力。这种灵验力既能带来吉祥,又会招致灾祸。心里期盼的吉祥如果随便说出来,「言霊」就会失效。日本民族对自己的语言慎之又慎,主张「言叶多きは悪し」(言多必失);「沈黙は最大雄弁なり」(沉默是最佳的雄辩);「口は祸の门」(祸从口出);「言わぬが花」(不说为妙)。由动词「言う」构成的成语绝大部分带有贬义:「言い落とす」(信口开河);「言いふらす」(散布谣言);「言いまくる」(口若悬河)等充分反映日本民族对发言的消极认识。

「花道」「茶道」在日本民族的生活中占据非常重要的地位,是闻名世界境界极高的艺术。成语「草花三年」指学习插花是从最一般的插草花开始练习的,但是要插得好至少要勤练三年,以此成语强调苦练基本功的重要性。「茶道」的礼仪作法非常难,但是早晨吃的普通的「お茶の子」是谁都会做的最简单的事,由此便有了成语「お茶の子さいさい」(轻而易举)。茶艺不精,随随便便泡茶有了成语「お茶を浊す」,指含糊其辞、马马虎虎。以茶为题材的成语还有「茶にする」(爱理不理);「灭茶苦茶」(乱七八糟);「番茶も出花」(旧貌换新颜)等。日本民族丰富多彩的生活是日语成语生存的肥沃土壤。 人类与动植物共同生活在地球上,朝夕相处。

某些动植物的特性在表达人的思想感情上有意想不到的效果,日语中就有很多以动植物设喻的成语。樱花是日本的国花,自古以来深受日本民族的喜爱。樱花花期极短,但它齐开齐落、绚丽缤纷、轰轰烈烈的“集团主义美”,在凋谢前依然保有高尚风范,这些都是日本民族毕生所追求的崇高品质。在日语中有许多以樱花为主题的赞美的成语:「桜は花に现れる」(才华横溢);「桜は七日」(在短暂的一生中也要干出宏伟的事业);「三日见ぬ间の桜」(世事无常)等。日本两大重要的节日五月五日的端午节一定要插「菖蒲」,九月九日的重阳节一定要装饰「菊」。但是节日第二天六日的「菖蒲」和十日的「菊」就没有任何用处。成语「六日の菖蒲」「十日の菊」就表示错失了良机,没有任何价值,意同汉语的“雨后送伞”。

「河童」是日本神话故事中虚构的动物形象,擅长游泳,也可以生活在陆地上,深得日本人的喜爱。「陆に上がった河童」(虎落平川);「河童に水泳に教える」(班门弄斧);「河童の川流れ」(淹死会水的人)。「鹈」是专门吃鱼的,它吃鱼时是一口将鱼整条吞下。借用这种现象成语「鹈呑みにする」比喻不求甚解,或是上当。「亀」是日本民族非常喜爱的动物,人们认为「亀の甲より年の功」(姜是老的辣),希望「亀は万年」(像龟一样长寿)。日本民族认为自己的体内都栖息着「虫」,这些「虫」长得什么样、藏在体内什么地方谁都不知道,平常这些「虫」潜伏在体内某个地方一动不动,让人没有任何感觉,但是一有时机它们就会行动起来令人难以对付。这些「虫」操纵指挥着每一个日本人的思想和行为,于是产生了很多以「虫」设喻的成语。「虫の居所が悪い」(心中不快);「腹の虫が纳まらぬ」(怒气难消);「虫すが走る」(令人作呕);「虫の知らせ」(事前预感);「泣き虫」(爱哭的人);「弱虫」(胆小鬼)。而「虫がいい」指体内的虫子在洋洋得意地任意摆布着人的行为,不管别人的感受,意同汉语的“自私自利”。此外,日语中还有很多以日常生活中常见的动物如猫、狗、牛、马等设喻的成语,在此就不一一列举。总之,动植物是日语成语取之不尽的丰富资源。对于这些带有特殊民族文化烙印的成语,一定要在了解民族文化内涵的基础上学习和运用,才能避免误解、误译、误传。

三、宗教信仰

宗教信仰作为一种社会意识形态,会给人的思维产生具有渗透性、持久性的动力。思想文化渗透同时伴随着语言渗透,不同的宗教信仰形成不同的文化特色,再现不同的文化传统。

日本民族的宗教信仰较为复杂,经历多个时期。中国的“道教”最早传入日本,日语成语「六神主なし」(六神无主),「六神」就是指道教中的“心、肺、肝、肾、脾、脏”六脏之神。随着中国汉字传入日本,中国古代提倡的“修己治人”的儒学也传入日本。儒教所推崇的“仁义礼智信”成为日本民族为人处世的原则,并对日本文化产生深远的影响,产生很多蕴含儒教思想的成语如:「孔子の倒れ」(人无完人);「犬に论语」(对牛弹琴);「男は松女は藤」(男尊女卑)等。公元六世纪佛教传入日本后,很大程度上改变了日本人的人生观,成了日本民族的精神支柱。在佛教中把善恶世界分为“欲界”、“色界”、“无色界”三界,最高的无色界称“有顶天”,能登上这一最高境界当然是欣喜若狂,于是有了日语成语「有顶天になる」(得意忘形、忘乎所以)。僧人们每天赤脚行乞,晚上回到寺院一定要洗净脚才给信徒们讲经说法,所以「足を洗う」表示洗手不干。和佛教有关的成语还有「仏顶面」(板着面孔、绷着脸);「仏の颜も三度」(事不过三);「お释迦に経を闻かせる」(班门弄斧);「有为转変は世の习い世」(世事无常)等。这些带有浓郁宗教色彩的日语成语已深入日本人的生活。宗教信仰给日语成语提供充足的养分。

综上所述,日语成语丰富多彩,充满智慧和创造力,是蕴含日本文化最丰富的语言单位,更是日本文化的精华和核心的体现,在文章和交流中使用率极高。我们必须重视对日语成语的学习和掌握,只有这样才能加深对日本文化的理解,并不断提高日语水平。

参考文献:

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[5]尚学図书辞书编集部.故事·俗信ことわざ大辞典[M].日本:小学馆,1982.

[6]古学谦,刘鸿鳞.汉日成语谚语对译[M].长春:吉林人民出版社,1981.

日语虽然为一门语言,但高校在进行日语教学的过程中,却不能将日语单纯当做一门语言来讲解,让学生仅了解日语的使用 方法 。下面是我为大家整理的浅谈日语语言学 毕业 论文,供大家参考。

《 从日本古典文学看日语文字的形成及其发展 》

一种文字的产生绝非一两句话能够简单的表述出来,不管是何种文字都是经历了漫长的历史演变,最终千锤百炼形成的。作为人类智慧与 经验 的集合体,文学作品是文字记载的手段得以流传,能够在一定程度上反应出文字的形成与发展。对于日语文字的研究, 文章 主要从日本古典文学的角度出发进行研究。

一、汉字的传入及万叶假名

公元四世纪,汉字经朝鲜半岛传入日本。之前,日本以口头语言为主,没有文字。汉字的传入开始日文章字的出现。也使得日本大量的古代神话、歌谣、 传说 得以记录保存。随着佛教、儒教等 文化 思想随着文字的传入,进一步的促进了日文章化的繁荣。而汉字传入日本之后,如何被接受与利用,是研究的一个重点。

《古事记》是日本第一部文字记载书籍。公元712年前后,日本天皇命令太安万侣对稗田阿礼习诵的历史资料用文字进行记录。该书中,记录了自创世以来至天皇时代的历史及神话传说。之后,相继出现记录创世神话以及天皇统治历史的《日本书记》和对风土民情记录的《风土记》。以上三部著作都是采用汉字进行记录的,只是在汉字的功能使用上存在差异,很多地方采用变体的汉文字,主要原因是日本人在学习韩文字时,以日本式或者是生硬的表达造成的,该文体不是纯正的古汉语,因此也成为变体汉文;书籍中的歌谣所采用的文字后来被称之为“万叶假名”,该文字不是纯正日语中的假名,是在完全背离汉字意思的基础上,将汉字作为表音符号进行使用对如本固有词汇的读音进行表示。《万叶集》中大量的使用“万叶假名”,如“安米”表示“めめ”(读作ame,“雨”的意思)。由此可见,古代日文章学中,主要是采用汉字记录、汉文撰写的,主要是由于汉字传入日本时间较短,还没有形成日本本土文字。对“万叶假名”和变体汉文的应用,表现出古代日本人使用文字的一种倾向,在记录历史资料时,采用汉文记录,而对于抒情类诗歌的记录多以假名进行。“万叶假名”的应用也为以后的平假名和片假名的形成奠定了基础。

二、平假名的形成

平假名是在公元九世纪前后产生的,而将其称为假名也是后世出现的,最初称为“女手”,主要意思是女子使用的文字。有假名既有真名,真名也就是汉字。根据这一点可以推断,在假名出现之前,日本书写所采用的文字只有汉字一种,在官方记录和历史文献记录中管饭的得到应用。受日本封建社会发展的影响,朝廷中以男子为官为主,仅有小部分贵族男性才有机会学习汉字,对于当时的如本人而言,汉字是一种艰涩难懂的文字,所以百姓及女子很难接触到汉字的学习与使用。由于家庭式的私塾教学,为贵族女性的学习提供了机会,略有学识的女子在偷学汉字的时候,为方便记录,往往书写的比较潦草,简化了汉字符号,形成“女手”,也就是后来的“平假名”。平假名的应用一度受男性的排斥,但其由于简便书写受到文人的亲睐。

三、片假名的形成及发展

与平假名不同,片假名来源于汉字的楷书,取出负荷声音的汉字的一部分进行简化而来,是为了训读汉文而出现的,尤其是在佛经传入日本后,由于佛经全部是由汉字书写而成,日本的僧侣及文人在阅读佛经的时候,受发音不同的影响,为了记住汉字的日语发音,阅读者在该字旁,加注一个汉字进行表音。由于字间距的空间有限,因此采用汉字的偏旁部首来代替该汉字。就形成了最初的片假名,主要是以表音符号存在。到公元十世纪,片假名发展为独立的文字。由于该文字主要用于佛经阅读中,很受僧侣的亲睐。到公元十一世纪,片假名被广泛的用于记录一般性文章及诗词歌赋中。古典文学中,第一部采用“汉文训读”文体的文学书籍是公元12世纪出现的《今昔物语集》,也就是在汉字旁边用小字号的片假名进行标注,由于书中数千 故事 都是以“今ぃ昔”开头,以“卜ナ厶语リタヘルヤ”作为结尾,因此被称为《今昔物语集》。至此,片假名已经不单是作为表音符号,已经成为文章一种文体,有其固定的语义存在。平假名的发展经历了漫长的时候,现有的片假名文字主要是在明治时期确定下来的。二战之后,日本对文字的使用进行了规范,规定平假名和汉字混合书写主要用于普通文章,而片假名用于拟声词、外来语等的表述。至此,日语文字的使用规范得以成型。

四、结束语

通常情况下,认为日本是一个对外来文化善于接受和吸纳的民族。而对于古代日本而言,一致在效仿文化繁荣、历史悠久的邻邦中国。从文艺思潮到政治制度,从城郭建筑到水稻 种植 ,古代日本从中国大陆文化中接受了无以计数的养分,充分的进行吸收,促进了日文章化的兴盛和繁荣。文字作为日文章化发展的基础,从变体汉字到万叶假名、平假名、片假名,日语文字经历了漫长的发展过程,并通过日本古典文学充分的反映出了日本在接受和吸收外来文化的过程。

《 日语语言文学中的家园意识探究 》

摘 要:中日属于邻邦国家,两国在文化基础层面上有着鲜明的共同性。近几年来,随着我国对日本文化及其语言进行深入分析与研究,尤其是对日本国家语言文学中的主流意识与社会文化进行了探讨,受到理论界广泛关注。本文就日语语言文学历史发展进程及其特点进行简要概述,并与日本典型的社会文化与语言文学案例相结合,对日语语言文学中蕴含着的家园意识及其特点进行深入剖析。希望对日语语言文学研究提供一定的参考依据。

关键词:日语;语言文学;家园意识

1.前言

由于日本与我国属于近邻关系,所以两国文化发展底蕴较为深厚,共同点较为广泛。日本文化在我国悠久的历史文化长期影响与熏染下,遗留有我们很多历史文化符号与印记。但是随着时代变迁,西方国家掀起的资本主义思想潮流使日本文化受到严重冲击,西方文化印记也十分明显。所以,日本社会文化在我国历史文化和西方国家现代文化相互交融,相互碰撞下,形成了独具特色的意识形态与社会文化。随着经济全球化发展,语言文学成为我国各个高职院校日语专业学生必修课程。通过对日语语言文学主题思想、发展规律及特点进行有效分析,能够掌握日语语言文学蕴含着的主流意识及其形态,使我国日语语言文学体系更加的完善。

2.分析日语语言文学及其特点

从日语语言文学历史发展进程角度来看,远古时期,日语语言文学长期在我国悠久的历史文化影响下,遗留由我国浓厚的历史文化气息与鲜明的文化烙印。进入二十世纪而后,日本国家挣脱了“闭关锁国”的束缚,积极引进希望国家先进的思想文化,对现代化日语语言文学带来了巨大影响。日语语言文学特点主要表现在以下几个方面:

语言文学时代标记较为显著

我国汉语发音、拼写与日语有着很大差异,所以日语语言文学有着鲜明且独特的时代标记。例如,在抒情诗歌创造上,公元时期,日语抒情诗歌主要由三十一个音节组合而成,并通过短歌形式展现出来,而十七世纪,日本抒情诗歌从原来的三十一个音节缩短为十七个音节,使得骈句表现力变得更强。由此可知,日本语言文学主要是新形势与旧形式文化不断碰撞与融合下形成的。

语言文学社会特征较为强烈

从早期与近代日语语言文学典型著作中可以发现,其语言文学社会特征都较为强烈,是日语语言文学在历史发展进程中形成的特点。尤其是近现代化日语语言文学著作,能够将日本国家某个时期社会状况进行充分揭露,并将国民对社会疑惑、对未来向往充分反映出来。由于日本文化具有明显的地域性特征,所以其国内语言文学会随着时代变迁而发生改变。远古时期,日本语言文学著作开始向着城市化方向发展,京都作为日本经济、经济与文化较为集中地方,所以很多日语语言文学著作都将日本京都作为创作背景。江户时期,武士被当做为日本国家新延生的贵族,其中很多参与日语语言文学创作武士,使日语语言文学重心发生了转移,这个时期经典语言文学著作主要有《古今著闻集》与《今昔物语》,其中《今昔物语》由芥川龙之介所创作,其在日本古典语言文学熏染与影响下,以历史小说作为创作题材,以国民喜而乐见的社会故事作为创作原型,并利用借古喻今方式,能够将现实与人生充分反映出来。

语言文学家园意识较为浓厚

从日本国家社会 传统文化 发展进程中可以看出,日本国家非常注重家庭,认为家庭不仅是促进社会发展、稳定的基础,也是维系情感的纽带。所以,日本国家早期很多语言文学著作中,都具有浓厚的家园意识,尤其是以离愁、思乡作为思想主题的抒情诗歌,将人们对家庭思念、眷恋及向往充分表现出来。而从日本国家近代史来看,国民受到战争严重摧残,家园在战争中受到破坏,所以这个时期的日语语言文学,能够将日本国民对家园深深的眷恋之情充分表现出来。由此可知,日本很多语言文学著作中,都以家园作为创作题材,同时赋予了日语语言文学鲜明的创作特点。

3.分析日语语言文学家园意识及其特点

通过对日语语言文学及其特点进行深入分析,可知家园是日语语言文学创作不可缺少的一个题材,而本文也将从其创作题材出来,对语言文学家园意识进行分析与研究。日语语言文学家园意识特点主要表现在以下两个方面:

具有“安宁”的象征意义

从传统日语语言文学至近现代化日语语言文学,很多日语语言文学家将家园塑造成具有“安宁”意义的象征。“安宁”不仅象征着人们安逸的生活,同时也象征着人们宁静的内心。从日本语言文学历史发展进程来看,其发展过程中并不顺利,自日本国家挣脱“闭关锁国”枷锁后,日本国家特有的农耕文化受到严重冲击,而日本社会经济发展形式也发生了很大改变。日本国家传承下来的农耕社会文化,能够给人带来安宁与安全感,当这份安宁感被破坏后,日本国家在给世界各国带去战争灾难的同时,也给国内民众带来了巨大的浩劫,这时日本国内民众对家园向往与渴望不断增长,从这个时期日语语言文学著作中能够充分体现出来。当世界二次战争结束之后,很多日本语言文学家创作的语言文学著作中仍然带有浓厚的家园悲剧色彩,由于残酷的战争,很多家庭骨肉分离,很多人失去了宝贵的生命。在二战期间,日本国家涌现出很多女性文学家,如津岛佑子,通过细腻描述方式,将自己失去家园、失去亲人悲痛之情充分抒发出来,并对家园抱以新的向往与希望。《安魂曲》由日本著名作曲家――武满彻所创作,将人们对家园安宁感的向往与渴望进行了描述。

具有“缩小”的意识特点

“缩小意识”属于日语语言文学较为典型的一个特点。在日本国家,很多语言文学作家喜欢将大的认知、观念及事件缩小,即缩小至一个家园中,并采取以小见大表现手法,将其对社会感知,对人生领悟表达出来。通过这种表现方式,能够将日本国民社会生活映射出来,日本国民所向往的精致生活,从生活环境到院子布设、饮食文化,都能够将缩小条件下完美展现出来。在日本语言文学作家笔触下,能够将家庭缩小,并蕴含着浓厚的亲情,达到日本国民所向往的美好生活。而很多现代学派的日本创作家,将家园庭院作为重点描述对象,而庭院也是现代化居住文化不可缺少的一部分,从庭院规划设计到整体布置,都能够将日本国民生活观念及文化观念集中展示出来。日本语言文学著作中都塑造了很多典型“庭院”,而庭院摆设物品也具有深刻的象征含义,都集中在庭院这个小小的环境中。所以,家园中的“缩小”意识,能够将日语语言文学与 社会实践 进行有效结合,使得语言文学更加的真实。

4.结语

家园意识作为日语语言文学创作的重要特征,能够将日本国民对美好家园向往与追求充分体现出来。从中可以明确日语语言文学多以家园作为主要的创作题材,将日本国民思乡之情作为创作主题思想,从而引发日本国民的共鸣。因此,我国在日语语言文学研究中,可以从其家园意识角度出来,对完善我国日语语言文学研究体系具有重要意义。(作者单位:四川商务职业学院经济贸易系)

参考文献

[1] 王正鸿.论日语语言文学中的家园意识[J].时代 教育 ,2013,8(17):89-90.

[2] 艾千又.从日本古典文学看日语文字的形成及其发展[J].华人时刊(中旬刊),2013,8(01):76-78.

[3] 於国瑛.日本最大的说话集――“今昔物集”[J].日语知识,2011,9(11):65-66.

[4] 张军.李瀛芥川龙之介与日本古典文学――以《今昔物语集》为中心[期刊论文]-山东文学(下半月),2010,8(4):75-76.

[5] 王昭.文学的时代时代的文学――日本自然主义文学初探[J].时代文学,2010,6(10):75-77.

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一、认知视域下的汉日场所惯用语对比研究

二、日语翻译实践中的误用表达分析

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七、日语助言行为中句末出现的“配虑表现”

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十、高校日语专业期末测试项目分析的基础研究

十一、日语学习中的日语汉字分析

十二、关于汉日同形词“意外”的对比研究

十三、独立学院“高级日语”课程教学改革探索与实践

十四、体验式日语教学模式研究

十五、日语词汇对汉语的影响探究

十六、从四字熟语谈中日文化差异

十七、跨文化视域下中日敬语原则及翻译、表达策略

十八、中日对译过程中的“体”表现

十九、论日语教学的文化导入

二十、《源氏物语》中和歌汉译的比较研究

二十一、基于标准商务日语考试的商务日语教学评价与探索

二十二、中国日语学习者中日同形异义语的误用研究

二十三、中日同形词的习得与语言迁移

二十四、浅析标点符号的作用及翻译策略——以《且听风吟》的林少华译本为例

二十五、认知过程中提高日语词汇习得效果的方法探究

二十六、三语习得理论视角下英语专业二外日语教学研究

二十七、中日互动词“遗传”考辨

二十八、跨学科日汉翻译的实践探索

二十九、试论汉语直译成日语产生的损害面子行为

三十、科技日语资料的翻译特点

三十一、网络时代双向文化导入的日语教学

三十二、日语借词对汉语的渗透和影响

三十三、关于二外日语教学引入“微课”的探析

三十四、翻译教学中母语负迁移的规避对策

三十五、在节奏旋律中呈现语言的音乐美

三十六、日语自动词被动句和汉语领主属宾句对比研究

三十七、浅谈中国日语学习者对“态”的误用

三十八、高职院校日语专业校企合作双向参与的育人模式探索

三十九、高校日语教学中跨文化交际能力培养策略研究

四十、社会语言学视角下的'日本近代时期自称词复数形式研究

四十一、日语翻译语言的范化及特化现象研究

四十二、日语“新语”与“流行语”的比较研究

四十三、先行词为语段的“その”的功能研究

四十四、日语被动句在会话中的使用情况及功能分析

四十五、“理”与“理窟”——中日古代文论中的“理”范畴关联考论

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九十九、中日数字文化观比较分析

一百、农业科技日语术语汉译适应化现象分析

一百〇一、以就业为导向的高职商务日语专业课程体系建设途径探析

一百〇二、日语专业四级考试文字试题部分的内容效度分析

一百〇三、对汉源日语量词认知研究的思考

一百〇四、网络环境下大学生日语自主学习模式探索

一百〇五、从“胳膊拧不过大腿”和「长いものに巻かれろ」看中日“时务观”

一百〇六、浅议日语借词对汉语及日语教学的影响

一百〇七、高职院校日语选修课教学改革浅析

一百〇八、中日汉字词的研究以及教学策略

一百〇九、浅议日语拟声拟态词的多样性

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8、商务日语口译特点及策略

9、日伪时期的语言政策研究

10、中日“婚嫁”忌讳语对比研究

一个是偏语法类,一个是偏词汇类应该说都有一定的价值就个人意见来说,我比较支持后者研究敬语的人已经很多了,再写的话一是没有新鲜感,二来可能也不会在前人的基础上有多大的突破写后者的话切入点还是比较多的,细细斟酌下,应该会有比较好的成果

那就写日语和中文的相同相否之处。

关于日语模糊表达的研究论文

语言是一种文化现象,不同民族的文化反映在不同民族的语言之中,离开语言所依赖的文化背景,就很难真正学好一门外语。下文是我为大家整理的关于日本文化日语论文的范文,欢迎大家阅读参考!

论从日语构造和日语运用看日本文化

摘要:“人的思考习惯”是指说同一种语言的人们共同拥有的一种认知习惯的总和,它是人们每天无意识的习惯性的思考和行为模式的基本,这些集合起来就成了文化。总之,用某种语法构造说出来话的意思是以说话人的认知习惯为前提在文脉中产生的。在这里面,又是和作为文脉的文化联系在一起的。要弄清楚作为文化基本要素的人们的思考习惯,一个很重要的线索就是语言。

关键词:言语文化学;言语意识;言语表现;日本文化

牧野成一说过,言语文化学既不是用文化来解释言语,也不是用言语来解释文化。假定可以显示某种言语现象和文化现象有某种必然的联系,那就要通过明确地提出具体是在什么时候来证明言语与文化的有机性,有缘性。总之,所谓言语文化学,是一门以已经作为社会习惯确定下来的言语的,文化的各个特征为研究对象,通过和两者有关系的普遍的媒介物,达到科学的记述的目的。本文即从日语的言语文化分析的视点,弄清楚日语和日本文化是如何联系在一起的。

一、日语构造里的文化

(一)词汇与日本文化

作为单词的总和的词汇,可以说在相当程度上反映了使用者所处的自然环境,社会文化,以及生活在里面的人们的思考方式。

1.词汇中反映的日本的传统文化和外来文化的交错

日语词汇里,反映了日本固有的要素和外来要素混合的文化。例如:和语•汉语•洋语混在一起。比如我们仅限于衣食住方面的话,衣方面,有「着物」「ゆかた」「帯」「寝巻」和「シャツ」「パンツ」「パジャマ」等,食方面,有「米」「汁」「豆腐」「すき焼き」「酒」和「スープ」チーズ」キャンディー」等,住方面,有「玄関」「ふすま」「縁侧」和「ドア」「ベランダ」等。所有的都包含三种语种,这三种语种的竞争,正反映了日本传统文化和外来文化交错的姿态。正是这种二重构造才是日本文化的特征。

2.特殊的一群――拟情词(拟声词•拟态词)

金田一春彦教授认为,在很多言语的词汇体系中都是空白部分的拟情词的存在是日语词汇独特的一个特点。都说日语里拟声词和拟态词多,虽然不能说这是日语独有的特色,但是这种单词的多用是感觉的,非分析性的事物认识的一个例证。例如:イライラ•ムシャクシャ•ヤキモキ…等等,对外国人来说很难理解吧。ホットする•ハレパレとした気分•スッキリした•(胸の中が)モヤモヤしている•ウンザリだ•ガッカリだ……等等,总是把感情状态分得特别细,有时描写很激烈的动作的状态的语句非常丰富,被经常和频繁地使用。ショゲル•フサギコム•ムクレル•ムカツク•ジレル•イラダツ•侘ビル……等等,对于把这种不断地感情的摇摆的心情分得如此之细的日本人来说,如果让他们生活在没有拟情词的“意思世界”里的话,他们一定会感觉到非常痛苦。

(二)语法里的文化

1.语序

日语是所谓的SOV(主语+宾语+动词)的语序。即:不仅是句子的信息,句子基本的意思构造不到句末是不能理解的。例如:

彼女は日本语教师になりました。

彼女は日本语教师になりませんでした。

彼女は日本语教师になりたかったんです。

彼女は日本语教师になりましたか。

句子是记叙句,否定句,还是疑问句不到句末是不知道的。可以说一直到句末都有悬念。如果把句子的信息当作是内部的话,像日语这种语序的语言,到达内部的过程就不显得唐突,比较缓和。从听者来看,不能从句首就能把握整个句子,而是从外部慢慢地到达内部。

2.自动词和他动词的使用选择

(1)不使用“他动词句”而选择使用“自动词句”

お茶が入りましたよ。(自动词句)

お茶を入れましたよ。(他动词句)

这是说话人给对方倒完茶之后的场景。这个时候,不用他动词句「お茶を入れましたよ」,而是多用自动词句「お茶が入っていますよ。」通过用说“茶已经倒好了”这个显示结果的句子,来抹掉主语“我”,这是一种不涉及到是“我把茶倒好了”的说法。如果使用他动词的话,就成了包含有“我为了你把茶泡好了”这种自己的行为给对方带来恩惠的说法,会让对方不愉快。

(2)取代使用“自动词句”而选择使用“他动词句”

部屋を散らかしていて、すみません。(他动词句)

部屋が散らかっていて、すみません。(自动词句)

前者和后者都经常被使用。前者的他动词句子是说明把房间弄的很乱的是自己,有一种给对方带来不愉快而道歉的表达方式。后者的自动词句子只是说明“房间很乱”这个状态,至于是谁的责任则比较暧昧的说法。这种情况下,比起用自动词句,用他动词句对道歉的心情更强烈些,会给对方更好的印象。

使用自动词句还是使用他动词句有以下的倾向:

自己(动作主人)直接或间接的会给对方带来负面的影响的情况,如果使用自动词句,容易招来“回避责任”的误解,所以为了确实的给带来麻烦的对方传达道歉的心情,比起用自动词句,有更多的会选择使用他动词句的倾向;

自己(动作主人)特意采取给对方带来正面效果的行为的情况下,如果使用他动词句,可能会给对方一种“强加于人的好意”“自我主张”等的印象,所以更倾向于使用自动词句,而不是他动词句。

二、日语运用中的文化——言语

意识和言语行为(一)定型化的寒暄语――人际关系的润滑剂

所谓寒暄是指人和人见面的时候或分开的时候互相交换的礼貌的行为或语言。通过说这些话语向对方显示敬意或亲近的心情,使人际关系和社会生活顺畅。

说到寒暄语,包括:①人跟人见面的时候,“おはようございます”“お元気ですか”等;②表示欢迎的时候,“いらっしゃいませ”等;③分开的时候,「さようなら」「おやすみなさい」等;④回家的时候,“ただいま”“お帰りなさい” ;⑤出门的时候,“いってきます」”“いってらっしゃい”等;⑥吃饭的时候,“いただきます”“ごちそうさま”等。

日语中说这种固定的寒暄语是非常普通的习惯。 “毎度ご来店くださいまして有难うございます”“毎度ご乗车有难うございます” 像这种固定的寒暄语在日本社会中也是非常广泛地使用。而在很多其他语言中这种固定的句子是一个空白的部分。但是,对日本人来说,根据用不用寒暄语,用什么样的寒暄语,可以显示对人关系的很大的不同。有可能出现只是因为没有用寒暄语而导致人际关系的不和谐,而相反,也有只是一句寒暄语而成为点亮了对方心里的暖灯的情况。总之,寒暄语作为人际关系的润滑油被使用,如果没有寒暄语,就会成为一个很难居住的世界。

(二)支配敬语行为的心理

谁都知道,日语的敬语非常发达。尊敬人的心情在哪个国家都能见到,但是把它发展到整个语法和词汇里形成了完整的体系不能不说是日语的一个特色。在日语里,除了身份,地位等社会地位以外,职业以及相关的业务里自己从属的社会、年龄、性别等的差别等等这些要素规定了当事人的用语。不仅如此,这种不同,在谈话双方之间产生了落差的时候,必须选择可以均衡这种关系的话语。

一般使用的敬语的规则是,根据对方或话题中出现的事物跟自己的关系(上下•亲疏•利益关系),使用相适应的词句。当然也会考虑“待遇表现”或“品格语”。支配日本人言语行为的条件有很多,最主要还是由“敬意” 的表达方式和微妙的对人意识里的“心里距离”的拿捏这两种来决定的。总之,就是是否把对方和对象纳入“自己人”的范围,根据这种和自己心里距离的远近来决定采用何种用词。

三、结语

日语和日本人的意识互相影响,成为一体,形成了日本列岛上独自的一个精神空间。可以被称作“民族的精神空间”。这也同时可以称作“民族的言语空间”。“日本人像”也好,“日语像”也好都可以从中得到反映。本文以日语的言语文化分析为视点,从日语构造和日语运用这两个方面分析了“日语像”和“日本人像”。可以说通过一些词汇,语法和几个言语表达方面,一定程度上弄清楚了日语和日本人的认知习惯及日本文化是如何联系在一起的。当然,日语和日本文化的联系仅就在以上两个方面也都远远不止这些。例如,还包括日语中反映日本这个民族擅长和不太擅长的方面,日语中可以反映喜欢用自动词发想的日本人,授受动词的多用,被动语态的妙用,沉默的日本人,人称代名词的省略,暧昧表现,婉转的拒绝等等。这些都当作今后的课题来讨论。

参考文献

[1]佐竹秀雄, 西尾玲见.『敬语の教科书』[M]. ベル, 2005.

[2]田洼行则. 『视点と言语行动』[M]. くろしお出版, 1997.

[3]彭飞. 『日本语の配虑表现に関する研究』[M]. 和泉书院, 2004.

[4]彭飞. 『外国人を悩ませる日本人の言语惯习に関する研究』[M]. 和泉书院, 1990.

[5]牧野成一. 『ウチとソトの言语文化学』[M]. アルク, 1996.

[6]水谷信子. 『心を伝える日本语讲座』[M]. 研究社, 1999.

[7]森田良行. 『日本语の视点』[M]. 创拓社, 1995.

[8]森山卓郎. 『コミュニケーションの日本语』[M]. 岩波书店, 2004.

[9]芳贺绥. 『日本人らしさ构造』[M]. 大修馆书店, 2004.

[10]渡辺実. 『日本语概说』[M]. 岩波书店, 1996.

浅析日本文化对日语成语的影响

摘 要: 成语是民族语言发展的产物,承载了丰富的文化信息,是语言词汇的精华。它就像一面镜子,清晰地反映出一个民族的文化特色。民族文化会在语言中留下深深的烙印,促使成语的形成。本文从自然环境、风俗习惯、宗教信仰三个方面论述日本文化对日语成语的产生、发展及形成所具有的重要意义。

关键词: 日本文化 日语成语 意义

“语言是文化的载体,是文化的积淀,更是文化的映像”[1]。语言中存在丰富的文化内涵。任何一种语言的产生、变化和发展都与其民族和国家的自然地理环境、社会文化和风土人情息息相关。正如日本语言学家森田良行先生所说:“言叶はそれを生み出した社会的文化であり、文化的视点を离れて言叶を考えることは生きた本当の言叶を眺めることにはならないであろう。”[2](语言是社会文化的产物,离开文化视点考虑语言就无法看到真正的语言)成语作为语言文化中文化性最强的一个部分,更是民族文化精华的体现。它就像一面镜子,清晰地反映出了一个民族的文化特色。

民族文化势必在语言中留下深深的烙印,促使成语的形成。学习和掌握成语既能提高语言表达能力又能增强文化能力,文化能力的增强必将有助于语言能力的提高。日本文化纷繁复杂,并且吸收多国文化的精华,拥有大量的成语。本文从自然环境、风俗习惯、宗教信仰三方面简述日本文化对日语成语的形成、发展的影响,引起人们对成语和文化之间关系的重视,进而更好地学习和理解日语成语,并在语言实践中准确地表达成语的意义,避免由于不了解日语成语的文化背景而产生令人啼笑皆非的错误。日本权威词典《国语大辞典》这样解释成语:“古人が作って、昔から屡々用いられて来た语句、合成语、熟语など二语以上が缠まってきた言叶。”(从古至今一直沿用的词句、复合语、熟语等由两字以上构成的语言)可见日语成语包括汉语中的二字四字词组、谚语、惯用语句、格言、歇后语等。

一、自然环境

“自然环境作为人类的生存空间,必将与该民族的文化特征有密不可分的关系”[3]。日本人自古以来生活在四面环海的岛国,盛产各种鲜鱼,从而形成了独特的“鱼文化”。从最普通廉价的「鰯」到最稀少昂贵的「鲷」都大量出现在成语中。「鰯の头も信心から」(精诚所至);「鲷の尾より鰯の头」(宁为鸡头,不为凤尾);「鲭を読む」(故弄玄虚);「鳗登り」(扶摇直上);「鲍の具の片思い」(一厢情愿);「虾で鲷を钓る」(抛砖引玉);「山芋が鳗となる」(鸡窝里飞不出金凤凰);「鲈庖丁」(尔虞我诈);「鼈が时を作る」(异想天开)等。正是因为“鱼”是日本民族饮食的主角,所以在日语成语中鱼的种类被详细地划分,各类鱼的形象特点也被刻画得淋漓尽致。因为日本的海产资源丰富,一年四季都能吃到新鲜的海产品,所以日本民族对食品调料便不像大陆民族那样急切和讲究。在日本很长时间只把「塩」和「味噌」作为调料品。「塩」是从海水中提取的,因此各家各户味道都一样。但是用大豆做的「味噌」每个人做的味道都不相同。如果自己做的「味噌」比别人的都香,就是非常自豪和骄傲的。于是便有了日语成语「出前味噌」和「味噌が上がる」(自吹自擂);「味噌を擂る」(阿谀奉承)。但是如果配方比例出了问题,「味噌」就会做失败,所以「味噌を付ける」就是“丢人现眼”的意思。此外,「味噌もくそも一绪にする」(好坏不分);「味噌が腐る」(指嗓音太坏)等。

日本列岛山多地少,自然环境特别恶劣,以种植水稻谋生。引水灌溉是种植水稻的重要必备条件,因此各家各户经常发生水源纠纷,成语「水挂け论」(争论不休)。日本民族以大米为主食,相关成语有:「他人の饭は白い」(家花不如野花香);「花より団子」(舍华求实);「朝饭前」(一蹴而就);「冷や饭を食う」(坐冷板凳);「饼は饼屋」(无论做什么事情还得依靠行家);「同じ釜の饭を食う」(亲密无间)等。

日本频繁受到台风、地震、海啸等多种自然灾害的袭击,古代日本民族对一切自然现象都十分恐惧、敬畏,他们认为人世间的一切都是有灵魂的,都是神的化身。日本民族信奉「神」「霊」「鬼」,认为「鬼」是「神」从天上、海上、山上派遣来到地上后的变形,它力大无穷、冷酷无情,非常可怕。由此产生「鬼に金棒」(如虎添翼);「鬼の空念仏」(虚情假意);「鬼の井沼に洗濯」(山中无老虎猴子称霸王);「心の鬼にする」(横下一条心);「鬼を酢にして食う」(天不怕地不怕)等。在威力无比的神和大自然面前,人要生存下来就必须祈求神灵的庇佑。日本全国各地遍布大大小小的「神社」,里面供奉着不同的「神様」,每年都要举行各式隆重的祭祀活动,日语称之为「祭り」。「最初の祭り」指非常隆重、热闹;而「後の祭り」指错过了时机,毫无意义。

自古以来,日本民族就在日本列岛上生存繁衍,岛国文化是日语成语的生命源泉。

二、风俗习惯

“风俗习惯是一个民族在特定的历史发展过程和地理环境中逐渐形成的,是文化形态的象征,涉及社会生活的各个领域”[4]。作为文化载体的语言必然会反映该民族的风俗习惯,并形成具有本民族特色的成语。

日本民族自古以来信仰「言霊」,认为语言具有不可思议的灵验力。这种灵验力既能带来吉祥,又会招致灾祸。心里期盼的吉祥如果随便说出来,「言霊」就会失效。日本民族对自己的语言慎之又慎,主张「言叶多きは悪し」(言多必失);「沈黙は最大雄弁なり」(沉默是最佳的雄辩);「口は祸の门」(祸从口出);「言わぬが花」(不说为妙)。由动词「言う」构成的成语绝大部分带有贬义:「言い落とす」(信口开河);「言いふらす」(散布谣言);「言いまくる」(口若悬河)等充分反映日本民族对发言的消极认识。

「花道」「茶道」在日本民族的生活中占据非常重要的地位,是闻名世界境界极高的艺术。成语「草花三年」指学习插花是从最一般的插草花开始练习的,但是要插得好至少要勤练三年,以此成语强调苦练基本功的重要性。「茶道」的礼仪作法非常难,但是早晨吃的普通的「お茶の子」是谁都会做的最简单的事,由此便有了成语「お茶の子さいさい」(轻而易举)。茶艺不精,随随便便泡茶有了成语「お茶を浊す」,指含糊其辞、马马虎虎。以茶为题材的成语还有「茶にする」(爱理不理);「灭茶苦茶」(乱七八糟);「番茶も出花」(旧貌换新颜)等。日本民族丰富多彩的生活是日语成语生存的肥沃土壤。 人类与动植物共同生活在地球上,朝夕相处。

某些动植物的特性在表达人的思想感情上有意想不到的效果,日语中就有很多以动植物设喻的成语。樱花是日本的国花,自古以来深受日本民族的喜爱。樱花花期极短,但它齐开齐落、绚丽缤纷、轰轰烈烈的“集团主义美”,在凋谢前依然保有高尚风范,这些都是日本民族毕生所追求的崇高品质。在日语中有许多以樱花为主题的赞美的成语:「桜は花に现れる」(才华横溢);「桜は七日」(在短暂的一生中也要干出宏伟的事业);「三日见ぬ间の桜」(世事无常)等。日本两大重要的节日五月五日的端午节一定要插「菖蒲」,九月九日的重阳节一定要装饰「菊」。但是节日第二天六日的「菖蒲」和十日的「菊」就没有任何用处。成语「六日の菖蒲」「十日の菊」就表示错失了良机,没有任何价值,意同汉语的“雨后送伞”。

「河童」是日本神话故事中虚构的动物形象,擅长游泳,也可以生活在陆地上,深得日本人的喜爱。「陆に上がった河童」(虎落平川);「河童に水泳に教える」(班门弄斧);「河童の川流れ」(淹死会水的人)。「鹈」是专门吃鱼的,它吃鱼时是一口将鱼整条吞下。借用这种现象成语「鹈呑みにする」比喻不求甚解,或是上当。「亀」是日本民族非常喜爱的动物,人们认为「亀の甲より年の功」(姜是老的辣),希望「亀は万年」(像龟一样长寿)。日本民族认为自己的体内都栖息着「虫」,这些「虫」长得什么样、藏在体内什么地方谁都不知道,平常这些「虫」潜伏在体内某个地方一动不动,让人没有任何感觉,但是一有时机它们就会行动起来令人难以对付。这些「虫」操纵指挥着每一个日本人的思想和行为,于是产生了很多以「虫」设喻的成语。「虫の居所が悪い」(心中不快);「腹の虫が纳まらぬ」(怒气难消);「虫すが走る」(令人作呕);「虫の知らせ」(事前预感);「泣き虫」(爱哭的人);「弱虫」(胆小鬼)。而「虫がいい」指体内的虫子在洋洋得意地任意摆布着人的行为,不管别人的感受,意同汉语的“自私自利”。此外,日语中还有很多以日常生活中常见的动物如猫、狗、牛、马等设喻的成语,在此就不一一列举。总之,动植物是日语成语取之不尽的丰富资源。对于这些带有特殊民族文化烙印的成语,一定要在了解民族文化内涵的基础上学习和运用,才能避免误解、误译、误传。

三、宗教信仰

宗教信仰作为一种社会意识形态,会给人的思维产生具有渗透性、持久性的动力。思想文化渗透同时伴随着语言渗透,不同的宗教信仰形成不同的文化特色,再现不同的文化传统。

日本民族的宗教信仰较为复杂,经历多个时期。中国的“道教”最早传入日本,日语成语「六神主なし」(六神无主),「六神」就是指道教中的“心、肺、肝、肾、脾、脏”六脏之神。随着中国汉字传入日本,中国古代提倡的“修己治人”的儒学也传入日本。儒教所推崇的“仁义礼智信”成为日本民族为人处世的原则,并对日本文化产生深远的影响,产生很多蕴含儒教思想的成语如:「孔子の倒れ」(人无完人);「犬に论语」(对牛弹琴);「男は松女は藤」(男尊女卑)等。公元六世纪佛教传入日本后,很大程度上改变了日本人的人生观,成了日本民族的精神支柱。在佛教中把善恶世界分为“欲界”、“色界”、“无色界”三界,最高的无色界称“有顶天”,能登上这一最高境界当然是欣喜若狂,于是有了日语成语「有顶天になる」(得意忘形、忘乎所以)。僧人们每天赤脚行乞,晚上回到寺院一定要洗净脚才给信徒们讲经说法,所以「足を洗う」表示洗手不干。和佛教有关的成语还有「仏顶面」(板着面孔、绷着脸);「仏の颜も三度」(事不过三);「お释迦に経を闻かせる」(班门弄斧);「有为转変は世の习い世」(世事无常)等。这些带有浓郁宗教色彩的日语成语已深入日本人的生活。宗教信仰给日语成语提供充足的养分。

综上所述,日语成语丰富多彩,充满智慧和创造力,是蕴含日本文化最丰富的语言单位,更是日本文化的精华和核心的体现,在文章和交流中使用率极高。我们必须重视对日语成语的学习和掌握,只有这样才能加深对日本文化的理解,并不断提高日语水平。

参考文献:

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[6]古学谦,刘鸿鳞.汉日成语谚语对译[M].长春:吉林人民出版社,1981.

那就写日语和中文的相同相否之处。

日本文化在国际环境中具有重要的影响力,提倡谦虚礼貌的表达和行为方式,具有典范和代表意义。下文是我为大家整理的有关日本文化毕业论文发表的范文,欢迎大家阅读参考! 有关日本文化毕业论文发表篇1 浅谈刺身与日本文化 摘 要: 刺身是日本著名料理。它既是日本人口中的美味、日本人眼中的艺术品,又是日本文化的传承,更引起了舌尖上的“战争”。对于日本刺身究竟意味着什么?本文从上述几个方面以刺身为中心进行分析研究。 关键词: 刺身 文化 食鱼 鲸 刺身,是将鱼贝类等食材切成片、条、块等形状,蘸上酱油、山葵泥等调味品食用的日本料理。传统刺身以鱼贝类为主,但现在可用于刺身原料的食材范围广泛,马肉、鸡肉、魔芋、蘑菇、动物肝脏、豆皮、面筋都能做成美味的刺身料理。 刺身的刺,是“刺穿”、“扎”的意思。古代日本渔民在将鱼去皮、剔骨、切割成可食用的鱼片后,由于无法辨认鱼的种类,便将鱼鳍扎到鱼片上以方便确认。这种方式当时被称为“刺身”。后来,这种方式渐渐不用了,但刺身的叫法被保留下来。如今,刺身作为日本料理代表性的菜式已为世人熟知,成为日本料理文化的代名词。 一、玉盘珍馐 刺身的原料虽然种类丰富,但主要食材仍然是鱼。常见的如金枪鱼、加级鱼等。在人口百万以上的国家中,日本人人均食用的鱼量为世界之最,平均每人每天克,是名副其实的食鱼大国。 刺身用鱼是新鲜的鱼,“鲜”是刺身的重要特征。 “鲜”首先是新鲜。新鲜的刺身鲜嫩、爽口。由于未经烹饪的鱼肉没有遭到高温的破坏,鱼肉中含有的丰富蛋白质等各种营养素没有丝毫流失,对人体很有益处。难怪从茹毛饮血的原始社会到物质文明高度发达的今天,日本人对生食鱼肉始终青睐有加。为保持鱼肉新鲜,日本人或用活缔放血法或用冷冻法最大限度地保持肉质新鲜,新鲜是刺身的“生命”。 “鲜”的另一层意思就是时令。刺身的季节性很强。如同时令蔬菜水果一样,日本人在春夏秋冬食用时令鱼,每个季节日本人都能品味季节特有的味道,吸取时令食物中丰富的营养物质。春吃竹荚鱼、鲣鱼、银鱼;夏吃石鲈、粗单角鱼、白丁鱼、飞鱼;秋吃斑、鲑鱼、蓝点马鲛、青花鱼;冬吃黄鱼、鳕鱼。而且,不同季节的刺身盘中饰物也随着季节的变化而改变。春用山茶花、八重樱、南天竹;夏用虎杖、紫阳花、瓠子;秋用小菊花、桑叶、银杏叶;冬用蜜柑枝、里白、松叶。时令鱼搭配时令花、叶、枝,展现在人们眼前的才是地道的刺身料理。 二、视觉盛宴 日本料理是用眼睛享用的料理。刺身就能通过食器与摆盘体现出这一特点。 刺身的器皿多用浅盘,材质可分为漆器、瓷器、竹制、陶器。形状有圆形、椭圆形、角形、扇形、树叶形、莲座形,等等。食器造型之多、形状之奇特令人赞叹。并且,食器上有种种花纹、图样。菱纹、鳞纹、云锦手(图)?摇?摇?摇?摇?摇 ?摇?摇(云锦手图片)、流水(图)?摇 ?摇?摇?摇(流水图)、龟鹤、祥瑞等。不同节日、不同季节搭配使用的食器都有要求。例如,蓬莱、松菱、鹤等花纹只能用于正月;丹顶鹤、松竹梅仅用于喜寿宴请。不同季节、不同菜式使用不同纹样的食器,的确是一种视觉享受。 此外,刺身的摆盘同样非常讲究。如果是多人份的刺身料理,可用“平盛”。 在大盘中满满地摆上五颜六色的料理,让人一眼望去就能感受到无比豪华绚烂。有经验的料理人也会采用“散盛”。 将食物散开摆放,露出盘面(余白),通过余白与食物色彩的搭配,与食物相映成趣。 若是同一种料理摆放多块,则可用“流盛”。 同样形状、同等大小的刺身自右向左倾斜摆放,错落有致,仿佛庭院中的细流,使人感觉恬静、清雅。 摆盘中最具代表性的方式是将食物摆成山形。 在底部平坦的食器中,将食物摆成富士山一样的形状,天小地大。这种摆盘既能呈现出“散盛”的平面图画效果,又能利用上层空间,展示出3D立体效果。对日本人而言,料理不仅是画卷,更是立体空间物体。只有对点、线、面的基本摆放熟练有加的料理人才能摆出3D美感。可见,刺身料理既是味觉的学问,又是视觉的艺术。 三、文化传承 刺身料理体现了日本饮食传统――鱼食。 日本四面环海,河川资源丰富,新鲜鱼贝唾手可得。日本人食用鱼肉可以追溯到原始社会。绳文时代的贝冢遗迹显示,当时日本人食用的鱼类包括鲫鱼、香鱼、鲽、比目鱼、河豚、青花鱼、�鱼、加级鱼等。除了鱼肉之外,当时人类也食用四脚动物肉。但进入文明社会后,随着佛教在日本的影响逐步扩大,日本多位天皇颁布了“杀生禁断令”,在此过程中,鱼与肉变得不可兼得,日本人渐渐舍肉而取鱼。从此,鱼在日本人的生活中占据着重要位置,长久广泛地影响着日本。例如,在日语中,打马虎眼说成“�を�iむ”。由于青花鱼容易腐烂,为了尽快卖掉,卖鱼时鱼贩会快速数数,就会出现在数量上捣鬼的现象,后来演变为日本人常说的打马虎眼。比如,烂船也有三千钉,日本人用“腐っても�”表示。加级鱼从古至今都受日本人喜爱,与其他鱼相比加级鱼的细胞分解速度较慢,所以,放置同样时间,其他鱼腐烂了,加级鱼的损害就比较小,于是就有了这种说法。 除了鱼食外,刺身里料理还体现了日本饮食另一传统――生食。 在原始社会人类都是生食,进入文明时代后各民族的生食就逐渐淡出历史。日本的生食习惯却始终延续,直至今日。生鱼、生菜、生肉、生蛋,日本人崇尚食物的原生态。保持食物本来的味道,口味清淡是日本料理的特点。由于日本四季分明,无论是鱼类、果蔬还是农作物都呈现出明显的季节性。在这种气候风土中生活的日本人养成了重视时令物、喜爱时令味的饮食习惯,并且生食法最能保留住时令味、锁住营养,这从侧面反映出日本人崇尚自然,注重与自然和谐统一的自然观。 四、舌尖上的“战争” 刺身食材的种类繁多,鲸肉就是其中之一。日本是世界上少数食用鲸肉的国家之一。虽然日本仅有2%的人经常性食用鲸肉,但每年市场供应的鲸肉却多达3000吨。日本人食用的鲸肉也包括海豚肉。海豚是高智商的海中动物,是亲近人类主动保护人类的高级动物。这种本应得到人类友善的回报和宠爱的动物,却遭到肆无忌惮地捕杀,难逃人类的口腹之欲。 为何喜吃鲸肉?日本人认为,鲸是营养丰富的食材;鲸消耗掉了大量鱼类资源,威胁到了人类的食物安全;食鲸是日本的传统,捕食鲸是日本历史的组成部分。 然而,事实是目前13种大型鲸类中,已有两种濒临灭绝。而且,从环境保护角度来看,鲸是海洋生态系统的一环,大规模捕杀包括海豚在内的鲸势必损害海洋生物链条,破坏海洋环境。 为了加强对鲸类资源的管控,《国际捕鲸管理公约》早在1986年就已经禁止商业捕鲸。但日本依然我行我素,引起了澳大利亚、美国等世界多国的反对。阿根廷、巴西等九个拉美国家甚至成立了“布宜诺斯艾利斯集团”,集体反对日本在南极海域的鲸类保护区域捕鲸。 但舌尖上的“战争”依然持续。也许,日本民主党众议员议员冈田克也与澳大利亚前外长斯蒂芬・史密斯的谈话最能代表日本人的态度。“日奥都有各自的文化,饮食是文化的重要组成部分。日本人自古就有吃鲸肉的传统。澳大利亚或许也存在着日本人无法理解的饮食习惯。我们应该互相理解”。 日本是一个历史悠久的国家,在长期的实践生产中形成了独特的饮食文化,呈现出了鲜明的民族情调,吸引着世界各国人民。任何一种文化的延续都是与时俱进、顺应历史潮流发展的结果。不合时宜、糟粕性的文化应该被剔除。 日本文化注重兼收并蓄、推陈出新。相信善于学习的日本人能够找到真正“崇尚自然,与自然和谐统一”的、能够进一步发扬日本刺身文化的方式。 有关日本文化毕业论文发表篇2 浅论日本语言背景文化 任何一个民族都具有自己独特的个性特点。这些特点除了表现在行动上之外,更多的表现在语言上。日本民族具有内敛、含蓄、不爱张扬的个性特点.这些特点表现在语言上就是不断地使用大量的委婉语.日语的委婉表现体现出日本民族独特的语言、文化心理及独特的民族思维方式。日语委婉表现也是日本社会文化的一种体现,我们从中可以窥视到日本社会发展的一般性和特殊性。在现代语言交际中,使用得体的委婉语以避开不愉快或不愿说出口的表达,可以使交际双方都得体不失面子,这已成为日本社会的一种倾向.日本是一个重视人际关系,以和为贵的社会,集体意识很强,注重协调精神,这种心理状况反映在语言上,就是要能够正确使用委婉语。 1、正文 、概述 委婉表现是日语最明显的特征之一。特别是在面对面的对话中,可以说如果不使用这种委婉表现谈话就不能顺利进行。毋庸置疑,这是由日本社会文化、思维方式及行为习惯所引起的。语言是一种社会的存在,它与某一地域社会(民族、国家)紧密相连。这些地域社会的文化(该地域社会人们的生活,行为方式)成为语言的背景。而语言的意思则基于这些背景之上被人们所理解,起到传情达意的作用。 日语委婉表现的最大决定因素是日本人的内外意识或者说是人际关系意识。与欧洲人相比日本人的自我意识较为淡薄。他们很在意包含自己人的「うち」(骨肉亲人,亲戚朋友等)和自己人以外的人即「そと」之间的区别。大多数的委婉表现都是对「そと」一方而说的。因此,委婉表现也可以被认为是与对方之间距离的体现。这与日语中的敬语从根本上是一样的。 、具体表现 每个民族都有因民族历史的沉淀和心理深层的构筑不同所造成的不同的语言表达方式。在进行语言的研究中,如何把握住我们自身对该语言的理解的心态,将会很大程度影响我们对该语言的理解。不同的理解心态会有不同的理解结果。在日语的学习和研究中,较为明显的就是对委婉语(暧昧语或模糊语)的理解。 一个中国人(甲)和一个日本人(乙)在初次打交道时会有如下对话: 甲:今晩ご都合がよければ一绪に映画を见に行こうか。 (今晚您有空的话,一起去看电影吧) 乙:もし残业がなければいいですが…… (如果今晚不加班的话……) 中国人会很自然地理解为:今晚加班就不去,不加班就去。当甲得知乙晚上不加班的消息时去候邀,却总不见乙来。甲过后去兴师问罪时,乙也会觉得很奇怪。实际上乙的回答有种回绝心理,加班只是托词而已。若是真心赴约,出于谨慎,乙方常常会再给甲一个确认,确定今晚的约会。这个时候乙常常会在下班时说「今晩残业がないので、一绪に映画を见に行こうか。」。但也并不是事事如此,有时乙很愿意接受邀请,但为预防有事脱不开身而不能赴约,便事先向甲言明有此可能,让对方有心理准备,以免届时被动。甲对乙这种模棱两可的回答非常迷惑,不知乙到底是去还是不去。其实这是日语委婉表现中较为常用的一种拐弯抹角的说法。正如当对方钢琴声很吵而希望对方能够停止这种行为时,往往是说「お嬢さんのピアノは上达しましたね。夜中の十时ごろまで稽古していますね。」(您女儿练钢琴真是辛苦啊,都练到晚上十点左右。),而不直接去和对方说明。 两个熟悉的人在路上相遇时,经常会说一声「さあ,どうも」便擦肩而过。这个「どうも」后接的词也是很暧昧的。如:「昨日、わざわざおいでくださいましてありがとうございました。」(昨日承蒙您光临,谢谢),回答时用「やあ、どうも。」。这个「どうも」从上下文看应是「こちらこそ、どうもお世话になりました。」(我得到你的关照,我才应谢谢您),或「こちらこそ、どうもありがとうございました。」(我才应表示感谢)的意思。从这两个人的对话中,我们可以看出这是「どうも」后面省略了词语。 「どうも」大致有以下几种意思:1)怎么也(下接否定)。 如:「どうも覚えられない。」(怎么也记不住)2)实在,太。 如:「どうも失礼します。」(实在太失礼了)3)总觉得。如:「どうも风邪らしい。」(像是感冒了) 而现代日语中,「どうも」的应用范围极广,它既可以表示歉意又可以表示谢意,有时还单纯地表示一般寒暄、告别等。如: (1)当别人帮了你的忙,表示由衷的感谢时说「どうも、ありがとうございました。」 (2)当学生帮老师擦完黑板时,老师说「どうも、ご苦労様。」 (3)当你在公共汽车上碰了人时说「どうも、すみません。」 (4)当你见到不久前帮了你的忙,给过你好处的人时说「この间、どうも。」 另外,两个情投意合的人在分别的时候,有时说声「じゃあ,どうも」便分开了,这个词下接的部分也是极不明了的。中国人听了上述对话感到日语不可思议。本来日本人在对话中就有避免明确说出事物的是非,避免对某一事物加以断定的习惯。也可以说日本语言中的这种表现方式是日本人的传统生活态度以及整个民族文化的重要特征。 这些委婉的语言都来源于委婉的语言思维,日本人的委婉的思维又与日本文化的柔性紧密相关。古代日本的经济政治文化中心在关西及日本九州地区,那里多丘陵,湖泊,河流,气候温暖,称得上日本的水乡。在气候温暖的水乡靠种水稻而谋生的农户,受到了整日伴水劳作的影响,懂得以柔克刚的道理,使他们的心理活动充满了柔性。 委婉语用以表达含蓄委婉,退让等复杂的心情。这也是日语的一大特点,应视“语境”来确定它所略去的部分或蕴涵的意思。否则就会觉得难以理解。 2、结语 众所周知,语言是文化的载体,也是文化的组成部分,日语也不例外。在其产生,发展和变化的过程中,自然而然地会受到日本文化的制约和影响,日语中的委婉语就是受到日本集团主义的影响而逐步产生和形成的。因此,对日语的研究离不开对日本文化语言学的研究。应该从大文化的角度对照异文化之间的差异,学会正确看待这些差异,随时把握好自己的心态,这样才能在对外交际中始终保持主动地位从而更好地使外语起到交际功能。猜你喜欢: 1. 日本文化毕业论文优秀范文 2. 日本文化毕业论文发表 3. 日本文化毕业论文优秀例文 4. 日本文化方面毕业论文免费下载范文 5. 有关日本文化毕业论文范文

关于研究中西节日的论文题目

研究性课题————《中国节日知多少》 目录 研究性学习方案 P3 研究性学习资料 P3~P7 研究性学习活动记录 P7 倡议书 P7~P8 调查表及其结果 P8 研究成果论文 P8 活动感悟 P9~P10 研究性学习方案 研究课题:《中国节日知多少》 小组成员:栾春昕、李素雅、庄倩、张睿、于程秀琳、李佳、袁得益 任务分配: 1. 活动方案:——庄倩、于程秀琳 2. 研究原因:——栾春昕 3. 研究过程记录:——张睿、李素雅 4. 研究背景:——张睿 5. 调查感悟:——袁得益 6. 倡议书:——李佳 7. 研究表格:——李佳、栾春昕 8. 研究成果论文:——庄倩 9. 资料:——庄倩 一、活动方案: 春节即将来临,春节是我国民间最隆重、最热闹的一个传统节日。当然,我国还有许多不同的节日,那么其他众所周知的节日还有哪些呢? 首先,我们先询问一些长辈通常的传统节日,然后从网上或图书馆查阅一些关于这些节日的来历、传说,以及一些风俗习 惯等。接下来,我们制作一些调查表,调查一下现在的人对中国传统节日的了解。最后,我们发出倡议书,倡议人们多关心,了解中国传统节日。 (一)背景: 1节日知多少 春节即将来临,我们大家都知道春节是我国最隆重最热闹的一个传统节日,而春节之外的其他节日也许我们知道的不够多,真正了解的更是少之又少了,于是,我们小组针对此事做了一份调查。 研究原因及目的: �春节马上就要到来了,春节是中国最传统最隆重的节日。当然还有节日值得我们庆祝。像中国的清明节,重阳节;以及西方的母亲节,情人节。它都一个共同点,就是都有自己的源远流长的故事。出于好奇,我们对中国的各种节日展开了调查研究。 (二)资料 春节,是农历正月初一,又叫阴历年,俗称“过年”。这是我国民间最隆重、最热闹的一个传统节日。春节的历史很悠久,它起源于殷商时期年头岁尾的祭神祭祖活动。按照我国农历,正月初一古称元日、元辰、元正、元朔、元旦等,俗称年初一,到了民国时期,改用公历,公历的一月一日称为元旦,把农历的一月一日叫春节。 贴春联 春联的种类比较多,依其使用场所,可分为门心、框对、横披、春条、斗方等。“门心”贴于门板上端中心部位;“框对”贴于左右两个门框上;“横披”贴于门媚的横木上;“春条”根据不同的内容,贴于相应的地方;“斗斤”也叫“门叶”,为正方菱形,多贴在家俱、影壁中。 贴窗花和倒贴“福”字 在民间人们还喜欢在窗户上贴上各种剪纸——窗花。因它大多是贴在窗户上的,所以也被称其为“窗花”。窗花以其特有的概括和夸张手法将吉事祥物、美好愿望表现得淋漓尽致,将节日装点得红火富丽。 在贴春联的同时,一些人家要在屋门上、墙壁上、门楣上贴上大大小小的“福”字。春节贴“福”字,是我国民间由来已久的风俗。“福”字指福气、福运,寄托了人们对幸福生活的向往,对美好未来的祝愿。为了更充分地体现这种向往和祝愿,有的人干脆将“福”字倒过来贴,表示“幸福已到”“福气已到”。民间还有将“福”字精描细做成各种图案的,图案有寿星、寿桃、鲤鱼跳龙门、五谷丰登、龙凤呈祥等。 年画 春节挂贴年画在城乡也很普遍,浓黑重彩的年画给千家万户平添了许多兴旺欢乐的喜庆气氛。年画是我国的一种古老的民间艺术,反映了人民朴素的风俗和信仰,寄托着他们对未来的希望。年画,也和春联一样,起源于“门神”。 随着木板印刷术的兴起,年画的内容已不仅限于门神之类单调的主题,变得丰富多彩,在一些年画作坊中产生了《福禄寿三星图》、《天官赐福》、《五谷丰登》、《六畜兴旺》、《迎春接福》等精典的彩色年画、以满足人们喜庆祈年的美好愿望。 我国出现了年画三个重要产地:苏州桃花坞,天津杨柳青和山东潍坊;形成了中国年画的三大流派,各具特色。 爆竹 中国民间有“开门爆竹”一说。即在新的一年到来之际,家家户户开门的第一件事就是燃放爆竹,以哔哔叭叭的爆竹声除旧迎新。爆竹是中国特产,亦称“爆仗”、“炮仗”、“鞭炮”。其起源很早,至今已有两千多年的历史。放爆竹可以创造出喜庆热闹的气氛,是节日的一种娱乐活动,可以给人们带来欢愉和吉利。随着时间的推移,爆竹的应用越来越广泛,品种花色也日见繁多,每逢重大节日及喜事庆典,及婚嫁、建房、开业等,都要燃放爆竹以示庆贺,图个吉利。现在,湖南浏阳,广东佛山和东尧,江西的宜春和萍乡、浙江温州等地区是我国著名的花炮之乡,生产的爆竹花色多,品质高,不仅畅销全国,而且还远销世界。 真正过年的前一夜叫团圆夜,离家在外的游子都要不远千里万里赶回家来,全家人要围坐在一起包饺子过年,饺子的作法是先和面做成饺子皮,再用皮包上馅,馅的内容是五花八门,各种肉、蛋、海鲜、时令蔬菜等都可入馅,正统的饺子吃法,是清水煮熟,捞起后以调有醋、蒜末、香油的酱油为佐料沾着吃。也有炸饺子、烙饺子(锅贴)等吃法。因为和面的“和”字就是“合”的意思;饺子的“饺”和“交”谐音,“合”和“交”又有相聚之意,所以用饺子象征团聚合欢;又取更岁交子之意,非常吉利;此外,饺子因为形似元宝,过年时吃饺子,也带有“招财进宝”的吉祥含义。一家大小聚在一起包饺子,话新春,其乐融融。 元日 (宋)王安石 爆竹声中一岁除,春风送暖入屠苏; 千门万户瞳瞳日,总把新桃换旧符。 端午节是古老的传统节日,始于中国的春秋战国时期,至今已有2000多年历史。源于纪念屈原 赛龙舟:赛龙舟,是端午节的主要习俗。相传起源于古时楚国人因舍不得贤臣屈原投江死去,许多人划船追赶拯救。他们争先恐后,追至洞庭湖时不见踪迹。之后每年五月五日划龙舟以纪念之。借划龙舟驱散江中之鱼, 以免鱼吃掉屈原的身体。竞渡之习,盛行于吴、越、楚。 据记载,早在春秋时期,用菰叶(茭白叶)包黍米成牛角状,称“角黍”;用竹筒装米密封烤熟,称“筒粽”。东汉末年,以草木灰水浸泡黍米,因水中含碱,用菰叶包黍米成四角形,煮熟,成为广东碱水粽。 到了唐代,粽子的用米,已“白莹如玉”,其形状出现锥形、菱形。日本文献中就记载有“大唐粽子”。宋朝时,已有“蜜饯粽”,即果品入粽。诗人苏东坡有“时于粽里见杨梅”的诗句。这时还出现用粽子堆成楼台亭阁、木车牛马作的广告,说明宋代吃粽子已很时尚。元、明时期,粽子的包裹料已从菰叶变革为箬叶,后来又出现用芦苇叶包的粽子,附加料已出现豆沙、猪肉、松子仁、枣子、胡桃等等,品种更加丰富多彩。 七 律.端午 老 舍 端午偏逢风雨狂,村童仍着旧衣裳; 相邀情重携蓑笠,敢为泥深恋草堂; 有客同心当骨肉,无钱买酒卖文章; 当年此会鱼三尺,不似今朝豆味香。 清明节是我国传统节日,也是最重要的祭祀节日,是祭祖和扫墓的日子。扫墓俗称上坟,祭祀死者的一种活动。汉族和一些少数民族大多都是在清明节扫墓。 按照旧的习俗,扫墓时,人们要携带酒食果品、纸钱等物品到墓地,将食物供祭在亲人墓前,再将纸钱焚化,为坟墓培上新土,折几枝嫩绿的新枝插在坟上,然后叩头行礼祭拜,最后吃掉酒食回家。 清明节,又叫踏青节,按阳历来说,它是在每年的4月4日至6日之间,正是春光明媚草木吐绿的时节,也正是人们春游(古代叫踏青)的好时候,所以古人有清明踏青,并开展一系列体育活动的的习俗。 直到今天,清明节祭拜祖先,悼念已逝的亲人的习俗仍很盛行。 我国传统的清明节大约始于周代,已有二千五百多年的历史。清明最开始是一个很重要的节气,清明一到,气温升高,正是春耕春种的大好时节,故有“清明前后,种瓜种豆”。“植树造林,莫过清明”的农谚。后来,由于清明与寒食的日子接近,而寒食是民间禁火扫墓的日子,渐渐的,寒食与清明就合二为一了,而寒食既成为清明的别称,也变成为清明时节的一个习俗,清明之日不动烟火,只吃凉的食品。 清明节的习俗是丰富有趣的,除了讲究禁火、扫墓,还有踏青、荡秋千、蹴鞠、打马球、插柳等一系列风俗体育活动。相传这是因为清明节要寒食禁火,为了防止寒食冷餐伤身,所以大家来参加一些体育活动,以锻炼身体。因此,这个节日中既有祭扫新坟生别死离的悲酸泪,又有踏青游玩的欢笑声,是一个富有特色的节日。 《清明》 (唐)杜牧 清明时节雨纷纷,路上行人欲断魂。 借问酒家何处有?牧童遥指杏花村。 《途中寒食》 (唐)宋之问 马上逢寒食,途中属暮春。 可怜江浦望,不见洛桥人。 北极怀明主,南溟作逐臣。 故园肠断处,日夜柳条新。 每年农历八月十五日,是传统的中秋佳节。这时是一年秋季的中期,所以被称为中秋。在中国的农历里,一年分为四季,每季又分为孟、仲、季三个部分,因而中秋也称仲秋。八月十五的月亮比其他几个月的满月更圆,更明亮,所以又叫做“月夕”,“八月节”。此夜,人们仰望天空如玉如盘的朗朗明月,自然会期盼家人团聚。远在他乡的游子,也借此寄托自己对故乡和亲人的思念之情。所以,中秋又称“团圆节”。 我国人民在古代就有“秋暮夕月”的习俗。夕月,即祭拜月神。到了周代,每逢中秋夜都要举行迎寒和祭月。设大香案,摆上月饼、西瓜、苹果、红枣、李子、葡萄等祭品,其中月饼和西瓜是绝对不能少的。西瓜还要切成莲花状。在月下,将月亮神像放在月亮的那个方向,红烛高燃,全家人依次拜祭月亮,然后由当家主妇切开团圆月饼。切的人预先算好全家共有多少人,在家的,在外地的,都要算在一起,不能切多也不能切少,大小要一样。 今天,月下游玩的习俗,已远没有旧时盛行。但设宴赏月仍很盛行,人们把酒问月,庆贺美好的生活,或祝远方的亲人健康快乐,和家人“千里共婵娟”。 中秋节的习俗很多,形式也各不相同,但都寄托着人们对生活无限的热爱和对美生活的向往。 中秋节有悠久的历史,和其它传统节日一样,也是慢慢发展形成的,古代帝王有春天祭日,秋天祭月的礼制,早在《周礼》一书中,已有“中秋”一词的记载。后来贵族和文人学士也仿效起来,在中秋时节,对着天上又亮又圆一轮皓月,观赏祭拜,寄托情怀,这种习俗就这样传到民间,形成一个传统的活动,一直到了唐代,这种祭月的风俗更为人们重视,中秋节才成为固定的节日,《唐书�6�1太宗记》记载有“八月十五中秋节”,这个节日盛行于宋朝,至明清时,已与元旦齐名,成为我国的主要节日之一。 中秋节的传说是非常丰富的,嫦娥奔月,吴刚伐桂,玉兔捣药之类的神话故事流传甚广。 中秋佳节,人们最主要的活动是赏月和吃月饼了。 《水调歌头》 (宋)苏东坡 丙辰中秋,欢饮达旦。大醉,作此篇,兼怀子由。 明月几时有?把酒问青天。 不知天上宫阙,今夕是何年? 我欲乘风归去,又恐琼楼玉宇, 高处不胜寒!起舞弄清影,何似在人间? 转朱阁,低绮户,照无眠。 不应有恨,何事长向别时圆? 人有悲欢离合,月有阴晴圆缺,此事古难全。 但愿人长久,千里共婵娟。 二、活动记录 1.活动计划: 第一阶段:1月30日~1月31日 (1)成立研究小组 (2)确定研究内容 (3)分配研究任务并进行研究和讨论 第二阶段:2月1日~2月4日 (1)实行研究方案 (2)各自进行研究 (3)查找资料 (4)发放调查表 第三阶段:2月5日~2月6日 (1)整理资料、调查表 (2)小组成员相互交流 (3)分析、探究调查结果 第四阶段:2月7日~2月9日 (1)根据分析结果,发出倡议 (2)进行总结 关于合理使用网络的倡议书 亲爱的同学们: 中国是一个有着五千年悠久历史的多民族国家,在不断向前发展的历史进程中,形成了很多独具特色的节日,形式多样、内容丰富。节日是人类日常生活中的精华,它区隔出一个生活周期中的各个阶段, 集中地展现了各个阶段的含义,并在节日动中,保留了该民族文化中最精致、最具代表性的一面。中国历史悠久,所蕴育的节日活动十分多采多姿,无一不是代代相传的文化资产,个别的节日形式虽然风格迥异,但都保留了一定程度的先人智慧及经验成果。它们反映了民族的传统习惯、道德风尚和宗教观念,寄托着整个民族的憧憬,是千百年来一代代岁月长途中欢乐的盛会。它是中华民族精神和情感的重要载体。各式各样的中国的节日,其多堪称世界之最。 然而,中国人真正了解的,清楚的节日却又寥寥无几。为此,我们向全市青少年学生朋友发出如下倡议: 一、 了解中国各个传统节日的准确日期。 二、 了解中国传统节日的来历渊源以及其各种习俗。 三、 与家长、同学、朋友交流自己的收获,探讨了解中国节日。 四、 向外国友人介绍宣传中国节日,促进国际间交流。 同学们,中国的传统节日是需要我们来宣传推崇的,传统节日是我国重要的文化之一。我们要保护好我们的节日,不要让西方节日喧宾夺主。 调查表 1、你了解中国每个节日的准确时间吗? A 是 B 不是 2、你认为中国那个节日最重要? A 中秋节 B春节 C端午节 D其他 3、你对节日的习俗是否了解? A 是 B 否 4、对于节日,你喜欢和家人一起过还是独自一人过? A 与家人一起 B 独自一人 5、你喜欢中国节日还是西方节日? A 中国节日 B 西方节日 调查结果 1、你了解中国每个节日的准确时间吗? A 是 % B 不是 % 2、你认为中国那个节日最重要? A 中秋节% B春节% C端午节% D其他% 3、你对节日的习俗是否了解? A 是% B 否 % 4、对于节日,你喜欢和家人一起过还是独自一人过? A 与家人一起 % B 独自一人% 5、你喜欢中国节日还是西方节日? A 中国节日 % B 西方节日 % 研究成果论文 通过这次的活动,大家都学到了一些知识。就算是从小知道的节日也能再多了解一些关于这方面的历史背景以及文化。 中国自古以来就是一个民族团结融洽的大国,各民族之间的节日当然也是不可缺少的。这次的活动大大加深了我们对各民族节日的了解。 春节是当之无愧的“节日之最”是中国所有节日中最隆重、最热闹的节日。可大家所感兴趣的节日就不止这一个了。比如说“中秋节”、“端午节”、“七夕节”……等等学多的节日。因为每个节日的庆祝方式和风俗习惯都不一样。所以大家也都乐于体验每一个节日所带给我们欢乐。 我们了解到了春节,是农历正月初一,又叫阴历年,俗称“过年”。这是我国民间最隆重、最热闹的一个传统节日。 我们了解到了端午节是古老的传统节日,始于中国的春秋战国时期,至今已有2000多年历史。 我们还了解到了清明节是我国传统节日,也是最重要的祭祀节日,是祭祖和扫墓的日子。扫墓俗称上坟,祭祀死者的一种活动。 除此之外,我们还知道了有关于每个节日的诗词,像关于春节的,宋朝王安石的《元日》、端午节老舍的《七律�6�1端午》、清明节唐朝杜牧的《清明》等等一些脍炙人口的诗词歌赋。 总之,这次的“中国节日知多少”的活动使我们大家都重新认识,重新领悟到了中国节日的独特迷人之处,也同样被它折服。 活动感悟 八骏嘶风传捷报,五羊跳跃展新图。 花红桃艳,金桔满盘,喜气洋洋华夏儿女策马赴羊年,春节年年过,今年过节又不一般。俗话说“俗随时变”,春节习俗传承、演变到今天,在形式和内容上都有了许多变化,回望过去,每个时代都各有风格: 50年代的年夜饭:几斤肉快活吃几天 60年代的潇洒:在广阔天地里过年 70年代的年货:新奇玩艺造出来 80年代的娱乐:看春节联欢晚会 90年代的拜年话:身体健康排第一 现代社会花样更多,过几年一个样,呼机拜年,电话祝福,短信传情,餐馆年夜饭,旅游过大年。但这毕竟是少数时尚弄潮儿的好戏,大众的呼声是,年越过越淡了。可不是,这应是自然选择的结果。 第一是社会生活的急剧变化,使得某些十分重要的春节民俗面临危机。庆丰收,祭祖和驱鬼,这是春节的灵魂。如今的人们,特别是城市的新生代们,不仅摆脱了农耕,而且也远离了宗法家族,春节庆丰收祭祖的意义消失了,人们现在相信科技,也不怕鬼敬神了,驱鬼也取消了。守岁,它是年节的核心。如果说,连它也省略的话,那肯定会影响到年节的地位,会减弱民众的节日心理,使人们觉得节日跟常日没有多大的区别,就会影响到节日的传承。它本来的意义是为了祈求长命百岁,现在人们已经失去了这样的信仰,就不太愿意熬夜了,但是我们把"守岁"当作一年中的不眠夜,大家在一起聊天、说话、娱乐、总结过去、畅想未来,这没有什么不好。 第二,20世纪以来中国的主流文化一直盛行激进主义。他们把现代化与传统对立起来,把科学与信仰对立起来,反传统、反宗教信仰;结果春节民俗中许多传统内容、信仰内容被破坏。例如,把公历第一天称为"新年",而把传统的历法新年改称春节,淡化了、模糊了春节的"新年"含义。以致于有人想取消春节,用阳历年取代春节。 第三,国外节日文化的引入对我国传统年节产生了冲击。物质享受为主的春节气氛淡化的一面,是以精神享受为主的西方节日的兴盛,现代生活的个性化与多元化,也需要多样化的节日。不同层位的人们大可从那些节日中获得情趣。越是多元化,本土固有的文化应该是最具有魅力的,一个民族的永久性,首先在于它文化的本土性。本土性越强化、越固有化,他的主导地位才能更突现出来。 第四,如今,平时工作日的缩短,休息、娱乐时间的增多,使得过年便不再是主要的甚至是唯一的休息、娱乐时间。城镇人民温饱基本解决,也不再等着过年吃大餐,穿新衣,走亲戚,而是精神压力寻求解放,想着可以哪里去玩,玩什么,怎么玩? 时代不断赋予春节新的内容,时代也不断给予它新的挑战,不同的时代虽然内容上不断增新,但基本的形式和主题却始终保持不变,“风调雨顺、五谷丰登、六畜兴旺,国泰民安”,正是春节具有强大生命力和民族凝聚力的思想表现。 无论怎么变,它祝福吉祥如意的深层含义没有改变。春节家庭团聚的习俗至今相传,人们再苦再累,春节那几天一定要好好过,这是个人生理调整的需要,也是心理调整与社会关系调整的需要。无论是旅游过年、上网过年、还是晚会过年,人们寻求的还是人与人之间的沟通。人们在同一的时间以大致近似的方式作大体一致的选择,是个人的需要,也是社会的需要与民族的需要。 一种民俗的传承是需要民俗心理和社会生活环境的。当社会生活环境发生了变化,人们的生活方式发生了变化,民俗心理必然发生变化。然而这种心理变化并不似社会变迁那样快,需要与新的生活方式进行长时间的整合。春节作为一个民俗,在社会的发展逐步摆脱农业主导而向更高的层次迈进的时候,去与留就是纯自然选择,而不能人为干预,其保留的也将是最有生命力的。 每个时代都为春节增添新的魅力,涂抹上新的色彩,我们身处于一个中华民族全面复兴的伟大时代,自然应该为春节这个古老的节日增光添彩,因为民俗应该是民众在生活中自发形成和传承的,来体现民众的文化诉求。我们只有在保持传统与接受现代生活方式方面找到一个契合点,我们才可能建构出一个新的民族文化体系,也就是在与时俱进的过程中,传承我们的春节文化,强化它的本土性,再向世界进军,让它成为世界人民同乐的佳节!

时下流行过“洋节” ——如何看待中国人的“洋节”情结 情人节、愚人节、母亲节、父亲节、万圣节、感恩节、圣诞节…… 一方面,当一些专家、学者纷纷动议要将中国沿袭了几千年的传统节日——春节改到2月4日,在社会上引起轩然大波的时候,另一方面,国人中却有相当一部分摩登的、前卫的、新潮的新新人类,在赶西洋人的时髦,纷纷过起了洋节!面对这些光怪陆离、异彩纷呈的社会众生相,一些有识之士禁不住发出了这样的疑问:源远流长的中华民族怎么了?善良智慧的中国人民怎么了?历史悠久的中国传统文化怎么了?到底该怎样看待中西文化交流?中国人该不该钟情于西洋节日?西方人是否也像我们一样崇拜中国节日? 带着这些问题,我利用寒假半个月的时间,到图书馆、阅览室翻阅资料,到网上搜索相关信息,到社会上走访了各行各业的人士,现将主要观点整理报告如下: 一、 随着社会的发展,中西文化交流势不可挡,作为文化重要组成部分的节日文化的交流融合理所当然,自然而然。 现代社会的发展日新月异,高新科学技术尤其是网络通讯技术的发展更使“地球村”变得越来越小了。随着中国政治、经济、外交事业的发展尤其是中国加入WTO之后,在诸如香港、上海这些东西方文化水乳交融和剧烈碰撞的国际大都市里,西方文化理念和东方传统道德,在人们日常生活中融合得是那么自然。随着时间的推移,这种融合在更大范围的地域内扩展开来。受了西方文化理念影响的人们在欢天喜地的过着各式洋节的同时,中华民族的传统节日春节、端午节、中秋节,他们也过得热闹非凡。由此可见,中国人多一些畅快抒发心情的洋节有什么不好呢?不是有越来越多的年轻人在走近圣诞节、情人节的同时,也学会了在母亲节、父亲节给老人献上一份祝福了吗?谁说现代物质文明和精神文明不是相辅相成、多元文化共存的综合体呢? 二、 对待一系列西方洋节的正确态度,应该是坚持鲁迅先生的“拿来主义”原则:运用脑髓,放出眼光,取其精华,弃其糟粕,自己来拿! 在如何继承民族文化遗产这个问题上,毛泽东同志早就指出,我们既不能全盘否定,也不能照单全收,我们要运用马列主义历史地、辩证的哲学眼光和态度,去批判的吸收。在如何借鉴西方外来文化这个问题上,早在上世纪三十年代,鲁迅先生就在他的政论名篇《拿来主义》中明确指出:我们要运用脑髓,放出眼光,自己来拿!综其两端,我认为,对待一系列西方节日的正确态度,应该是:不盲目崇拜,不迷失自我;既不全盘西化,照单全收,也不全面否定,刀枪不入;而是取其精华,弃其糟粕!西方节日受历史宗教文化的影响,大都带有明显的宗教色彩,如万圣节、感恩节、圣诞节等。尽管宗教大都是劝人向善的,但毕竟在我们这个国度里崇尚宗教信仰自由,因此就不好对这些节日做出什么硬性规定。对于那些带有一定的西方生活情趣的节日如情人节、愚人节等,则完全可以随兴所至,“悉听尊便”,毕竟它可以给我们紧张、枯燥的生活带来一定的生活情趣,注入一丝活力。而对于那些既带有西方浓郁的浪漫情调又符合我们中华民族尊老爱幼传统美德的节日如母亲节、父亲节等,我们则要大力提倡,努力推广,以不断提高民族素质,加快社会文明进程! 三、 在崇尚西洋节日、热热闹闹过好洋节的同时,千万不要忘了弘扬中华民族悠久的、优秀的节日文化传统,千万不要在盲目崇拜中迷失了自我。 中华民族是一个历史悠久的民族,中国人民是文明、智慧的人民,中国文化是博大精深的文化,尤其是许多传统的节日文化,都积淀着厚重的民族文化的精华:春节是中华民族传统的喜庆团圆节日,人们辛勤忙碌了一年,在新的一年开始的时候,走亲访友,互致祝福,回顾过去,展望来年,老老少少,团团圆圆,全家幸福,和谐美满,该是多么愉快的节日呀!清明节,我们可以踏青、扫墓,缅怀革命先烈的丰功伟绩,寄托我们对已逝亲人的哀思;端午节,是专为纪念伟大爱国诗人屈原的,这一天,我们可以划龙舟、吃粽子、……一举两得,何乐不为?中秋节是继春节之后的又一个举家团圆的节日,我们可以再一次全家团圆在花前月下,赏菊花,吃月饼,品美酒,话别离,孝敬长辈,关爱晚辈,其乐融融,喜不自胜!……从某种意义上说,这些节日文化,彰显的不仅仅是某时某地的民情风俗,更重要的是它彰显了中华民族尊老爱幼、勤劳善良、勇敢智慧等传统美德和古朴纯正、博大精深的民俗文化。这些都是不可或缺的!而随着时代的发展,西风东渐,这些传统和文化或渐被遗忘,或日渐式微,或慢慢湮灭,若不及时加以抢救性的继承、弘扬、挖掘和开发,那么,真等到它彻底消亡的那一天到来的时候,我们这些炎黄子孙还有何面目去见我们的老祖宗?同时,世界文化遗产的宝库中,也将留下难以弥补的缺失和遗憾!所以,每一个有责任心、有正义感、有远见卓识的炎黄子孙都必须站在历史和世界的高度,去认识这个问题,古为今用,洋为中用,既不崇洋媚外,也不固步自封,而是在适当吸收西方节日文化精华的同时,也不迷失自我,是中华传统美德和悠久民族文化着两朵奇葩并蒂开放,香飘世界!

中西节日习俗与饮食摘要:中国和西方国家的节日及其习俗有着比较明显的差异。中国的节日主要源于岁时节气、祈求自身吉祥幸福,节日习俗以吃喝为主题,其原因主要是中国人对生命的追求以健康长寿为目的,并通过饮食来实现;西方的节日主要源于宗教及相关事件,缅怀上帝、求其保佑,节日习俗以玩乐为主题,其原因主要是西方人对生命的追求以健康快乐为目的,并通过宗教和娱乐活动来实现。关键词:中西节日;节日习俗;饮食文化节日是指一年中被赋予特殊社会文化意义并穿插于日常之间的日子,是人们丰富多彩生活的集中展现,是各地区、民族、国家的政治、经济、文化、宗教等的总结和延伸。长期以来,中国以农为本,在生产力和科学技术不发达的情况下,农作物的耕种与收获有着强烈的季节特征,于是十分重视季节气候对农作物的影响,在春种、夏长、秋收、冬藏的过程中认识到了自然时序变化的规律,总结出四时、二十四节气学说,形成了以岁时节日为主的传统节日体系。这一节日体系萌芽于先秦时期,成长于魏晋南北朝时期,定型于唐宋时期[1]()。到宋代,陈元靓的《岁时广记》所载一年中的节日有元旦、立春、人日、上元、正月晦、中和节、二社日、寒食、清明、上巳、佛日、端午、朝节、三伏、立秋、七夕、中元、中秋、重九、小春、下元、冬至、腊日、交年节、岁除等。明清后基本沿用这个序列,并逐渐淡化了其中一些节日。而以英、法、意、美为代表的西方国家,最初多以畜牧业为主,尽管后来农、工、商都有较大发展,但农业大多没有成为立国之本,因此人们对季节气候的重视程度不及中国,他们最注重的是基督教。而基督教有众多的节日,其中有的是信徒中自发形成的,但多数是教会规定的,几乎贯穿一年的始终。如一月有主显节,二月有瓦伦丁节即情人节、谢肉节也称狂欢节、封斋节,四月有复活节,五月有耶酥升天节、生灵降临节,八月有圣母升天节,九月有圣母圣诞节,十一月有万圣节、万灵节、感恩节,十二月有圣诞节、悼婴节等。由于基督教在西方国家拥有占人口百分之九十以上的信徒,有着无可比拟的特殊地位,甚至先后成为罗马帝国和英国的国教,于是基督教的许多节日在长期的历史发展过程中因影响极大、涉及面极广而逐渐演变成全社会共同的节日,由此形成了以宗教节日为主的传统节日体系,其中典型的节日有狂欢节、情人节、复活节、万圣节、感恩节、圣诞节等。这些节日基本上源于基督教,大多有与基督教相关的习俗,但不一定有特殊的节日食品。节日习俗则是在节日里出现的风俗习惯,常因节日体系及更深层次的自然与社会环境的差异而有所不同。中国与西方国家在节日习俗上的差异主要表现有二:一是节日习俗的起源与目的不同,中国主要源于岁时节气,以祈求自身的吉祥幸福;西方主要源于宗教及相关事件,以缅怀上帝、求其保佑。二是节日习俗的主题与内容不同,中国主要以吃喝为主题,许多节日有相应的节日食品;西方国家主要以玩乐为主题,许多节日都少有相应的节日食品。究其原因,主要是由思想观念和价值取向造成的。中国人对生命的追求以健康长寿为目的,主要通过饮食来实现,即《管子》所言“民以食为天”、《尚书·洪范》所称“食为八政之首”,加之其哲学观点讲究顺应自然的“天人相应”,使得中国人的饮食观特别重视人体、饮食与自然时序相对应,认为只有如此,作为自然一部分的人才会健康长寿,所以节日习俗不仅以饮食为主,并且以特定的节日食品作为这些观念的最好注解。而西方人对生命的追求是以健康快乐为目的,除必须的饮食营养外,更主要的是通过宗教和娱乐活动来实现,认为人生来有原罪,必须通过信仰上帝、参加宗教仪式和不断忏悔等才能赎罪,从而得到心灵净化与快乐,因此西方的节日习俗不仅有浓重的宗教色彩,而且注重宗教仪式后的一种身心解脱式的娱悦和快乐。下面分别以中国和西方人最重视的节日为例进行阐述。1中国的节日习俗:源于岁时,吃喝为主,祈求幸福在中国,春节是春天的重要节日,时间从汉魏以前的农历立春之日逐渐改为农历正月初一,节日食品从早期的春盘、春饼、屠苏酒,到后来的年饭、年糕、饺子等多种多样。古人认为,立春之日是春天的开始,也是一年的开始,于是在这一天便有了劝人耕种的习俗。《后汉书·礼仪志》载:“立春之日,夜漏未尽五刻,京师百官皆衣青衣,郡国县道官下至斗食令史皆服青绩(?),立青幡,施土牛耕人于门外,以示兆民。”耕种需要强壮的身体,因此在饮食上有了相应的食品。最早出现的是由五种辛辣刺激蔬菜构成的五辛盘即春盘和屠苏酒,目的是强健身体以利耕种。随着时间的推移,春节劝民耕种的意义逐渐淡化,而希望身体强健之义得到加强,并进一步希望新年幸福吉祥、万事如意,于是又出现了新的节日食品,如象征幸福团圆的年饭、象征事业发达的年糕和寓意财源广进、吉祥如意的饺子等。这众多的春节节日食品无不寄托着中国人对幸福生活的祈求和向往。端午节是夏天的重要节日,时间为农历五月初五,其主要的节日食品是粽子。许多民俗学者认为,端午节起源于农事节气──夏至。而夏至标志着夏季的开始,常出现在农历的五月中。这一时期是农作物生长最旺盛的时期,也是杂草、病虫害最易滋长蔓延的时期,必须加强田间管理。农谚说:“夏至棉田草,胜如毒蛇咬。”为了提醒人们重视夏至、管好田间,也为了祈求祖先保佑农作物丰收,早在商周时代,天子就在夏至日专门品尝当时主要的粮食黍米,并用它来祭祀祖先。《礼记·月令》言,仲夏之月“天子乃以雏尝黍,羞以含桃,先荐寝庙”。这一活动逐渐渗透、影响到民间并形成习俗,出现了“角黍”即粽子这一特殊食品,供人们在夏至祭祀和食用。由于端午节从夏至发展演变而来,于是“角黍”也成了端午节的节日食品。《太平御览》引晋周处《风土记》言:“俗以菰叶裹黍米,以淳浓灰汁煮之令烂熟,于五月五日及夏至啖之。一名粽,一名角黍,盖取阴阳尚相裹未分散之时象也。”可见,端午节和粽子的产生与农事节气有密切联系。然而,人们并不满足这种客观存在,又为其起源赋予了许多动人的传说,而流传最广、影响最大的是纪念屈原说。这一传说为端午节增添了新内涵,于是各地因习俗、爱好的不同而创制出多种多样的粽子,不仅表达了对丰收的祈求、对先民的崇敬,也丰富了饮食生活,客观上为人们幸福地生活创造了条件。中秋节是秋天的重要节日,时间为农历八月十五,因它处于孟秋、仲秋、季秋的中间而得名。其主要节日食品是月饼。然而,中秋节的形成及其与月饼之间产生的对应关系却经历了漫长的历史过程。秋天是收获的季节。五谷飘香,瓜果满园,人们怀着喜悦的心情收获这一切,同时对大自然产生了感激之情,而月亮既是大自然的杰出代表,又是中国人推算节气时令的重要依据,于是周朝就有了祭月、拜月活动。到隋唐时代,人们在祭月、拜月之际逐渐发现中秋的月亮最大、最圆、最亮,便开始赏月、玩月,形成了以赏月、庆丰收为主要习俗的中秋节。唐人欧阳詹《玩月诗序》言:“八月于秋,季始孟终,十五于夜,又月之中。稽于天道,则寒暑均;取于月数,则蟾魄圆。……升东林,入西楼,肌骨与之疏凉,神气与之清冷。”在这个良辰美景、赏心悦目的节日里,讲究“民以食为天”的中国人自然不会忘记用美酒嘉肴相伴。据史料记载,唐高祖李渊曾于中秋之夜设宴,与群臣赏月,并一起分享吐蕃商人进献的美食──一种有馅且表面刻着嫦娥奔月、玉兔捣药图案的圆形甜饼。这饼也许就是后世“月饼”的始祖。到宋代,中秋节赏月宴非常盛行,而且宋吴自牧《梦粱录》和周密《武林旧事》中有了“月饼”的称呼和品种,只是未与中秋节联系起来。月饼成为中秋节的主要节日食品大约在元明时代。相传元朝末年,朱元璋发动起义时,就将写有起义时间的纸条藏入月饼中,在互赠月饼时传递消息。这表明中秋吃月饼的习俗在元朝已很普及。明代田汝成《西湖游览志余》“熙朝乐事”载:“八月十五谓之中秋,民间以月饼相遗,取团圆之—10—义。”此后,月饼至少有两重意义:一是形如圆月,用以祭拜月神,表达对大自然的感激之情;二是饼为圆形,象征团圆,寄托人们对家庭团圆、生活幸福的祈求与渴望。冬至节是冬天的重要节日,时间在农历十一月,没有固定的日期。其节日食品较多,主要有馄饨、羊肉、粉团等。冬至是农历二十四节气之一,冬至前后也是大量贮藏农作物及其它食物原料的重要时期。《月令七十二候集解》言:“十一月中,终藏之气至此而极也。”至此,一年的农事忙碌即将或已经结束,五谷满仓,牛羊满圈,该是人们初享劳动成果的时候了。因此,人们十分看重这个日子。许多研究者认为,大约在汉代,冬至就已成为一个节日。魏晋以后,人们将冬至的庆贺规模扩大,使之仅次于春节过年,有些地方又有“亚岁”之称。冬至节是阴阳交替、阳气发生之时,食馄饨暗寓祖先开混沌而创天地之意,表达对祖先、对大自然的缅怀与感激之情。此外,羊肉也是冬至的节日食品,不仅是冬季的极佳滋补食品,而且寓意吉祥、表达对幸福生活的企盼。《明宫史》卷四载,冬至节“吃炙羊肉、羊肉包、扁食、馄饨,以为阳生之义”。羊与阳同音,寓意阳气发生。同时,羊与“祥”通,古代常把“吉祥”写作“吉羊”。《汉元嘉刀铭》言:“宜侯王,大吉羊。”2西方的节日习俗:源于宗教,玩乐为主,缅怀上帝在西方国家,狂欢节是基督教“谢肉节”的世俗化称呼,时间大多在阳历二月中,一般开始于封斋节的前三天,节期为三天。其习俗主要是举行各种宴饮娱乐活动,尽情欢乐。最初,教会规定封斋期间禁止食肉和娱乐,教徒们便自发地在封斋开始之前举办各种宴饮娱乐活动,以此宣布即将暂时告别肉食,称为“谢肉”。“谢”即为辞别、告别之义。由于人们在宴饮活动中可以尽情狂欢,故又称此活动为“狂欢”活动。到公元15世纪,罗马教皇保罗二世下令于封斋节前三天举行庆祝活动。从此,狂欢节便作为一个节日被正式确定下来,并逐渐在西方及其他国家流传开来。如今,狂欢节已成为世界上众多国家和民族不可缺少的盛大节日。由于狂欢节的缘起与教会封斋时禁止肉食和娱乐的规定密切相关,加上二月正是冬去春来、值得庆贺之际,因此其习俗便离不开肉食和娱乐两方面。但对于大多数国家而言,其习俗是以娱乐为主、饮食为辅,并且随着时间的推移,宗教色彩日益淡化,世俗的庆贺色彩不断增强。如在意大利的威尼斯,人们不但在家中宴饮欢歌,而且穿着奇特的服装,脸上戴着面具或涂着各种色彩,踩着高跷到大街上,尽情欢乐。许多点心店则特别制作一些面具糕点,供应顾客;一些饭店、酒吧还制作各种面具饼干挂在墙上,象征生活开始新的起点。把狂欢节娱乐推向颠峰的是巴西,但其“狂欢节之乡”的美称不是源于饮食而是规模盛大且十分精彩的桑巴舞表演。复活节是基督教为纪念耶酥“复活”而设的节日,是西方国家仅次于圣诞节的第二大节日,时间大多在阳历四月。在其习俗中,既有宗教仪式,也有特殊的节日食品──彩蛋。据《圣经》记载,耶酥在去耶路撒冷参加犹太教逾越节时于星期五被钉死在十字架上,到第三天即星期日便复活升天了。基督教教会为此设立复活节以示纪念,并在公元325年,由罗马帝国的尼西亚教士会议明确规定其时间为每年春分月圆后的第一个星期日,即阳历的四月中。由于复活节是教会为纪念耶酥而设,因此节日前夜或当天都有宗教纪念活动,不仅在教堂举行弥撒,有的城市还举行盛大的宗教游行。与此相应的是吃彩蛋和滚彩蛋活动。鸡蛋在西方国家被认为是新生命和兴旺发达的象征,把鸡蛋染成红色则象征基督用自己的鲜血为人类赎罪,因此许多家庭的复活节早餐少不了彩蛋。有时,家长也把它们藏起来,让孩子去找。最初的彩蛋是真鸡蛋煮熟后染成的,后来更多用巧克力制成,大而空,中间装有巧克力或其它糖果。彩蛋的吃法有两种,一是直接食用,以崇敬的心情缅怀基督;但更受欢迎的是通过滚彩蛋比赛食用,将食与乐与纪念结合在一起。如在英国北部、苏格兰等地,人们把彩色煮鸡蛋做上记号从斜坡上滚下去。谁的蛋先破,就被别人吃掉,谁就认输。若彩蛋完好无损,则预示主人会有好运。在这项活动中,输赢并不重要,重要的是人们在滚与吃的过程中获得了乐趣。圣诞节是基督教为纪念耶酥诞生而设的节日,是西方国家最盛大、最神圣的节日,时间大多在12月25日。在其节日习俗中,除了宗教仪式,必不可少的还有圣诞宴会、圣诞树和圣诞老人。在《圣经》中没有明确记载耶酥的出生日期,但到公元354年,罗马教会则规定12月25日为耶酥诞生日,并举行庆祝活动加以纪念。据说选择这一天,是为了与世俗的祭祀太阳的农神节相一致,意在表示耶酥的降生就是太阳的再生。经过一定时期的发展,圣诞节逐渐演变成西方国家全民性的重大节日,并像中国的春节一样注重合家团聚、热闹欢乐。圣诞节有隆重的庆祝活动,尤其是12月24日晚圣诞前夜,基督徒们走进教堂作弥撒,唱圣诞歌,诵赞美诗等,以庆贺耶酥诞生、圣诞节到来。孩子们则盼望圣诞老人送来糖果、玩具等礼物,而他们会给圣诞老人准备一些夜宵食品。除了庆祝活动,圣诞宴会是圣诞节时必不可少的家庭团聚宴会,但举行的时间和节日食品不一定相同。如意大利、法国等是于圣诞前夜举行家庭宴会,类似于中国的“年夜饭”。意大利人是先吃“年夜饭”,主要食品有金枪鱼、蛤蜊、墨斗鱼及果仁饼等,然后去教堂作弥撒;法国人是弥撒结束后才回家慢慢享用圣诞晚餐,主要食品有鹅肝酱、栗子火鸡、松露菌和蛋糕、香槟酒等。而英国的圣诞宴会是在圣诞节中午举行,常见的食品有烤火鸡、圣诞节布丁和百果馅饼。烤火鸡是哥伦布发现新大陆、航海家从墨西哥带回火鸡以后才成为英国圣诞节食品的,在此之前则长期由野猪头和烤孔雀充当。圣诞布丁是由葡萄干、苹果、果皮蜜饯及香料、少许白兰地等为原料蒸或烤制而成的,通常在布丁顶部要插一个冬青树枝作装饰。百果馅饼是用多种果干为馅烘烤成的油酥面饼。值得注意的是,多数国家的圣诞宴会上,当全家人围桌而坐时都必须多放一把椅子,空一个座位,因为这是给“主的使者”耶酥准备的。宴会结束后人们便围着象征吉祥快乐、生命永恒的圣诞树尽情唱歌跳舞。此外,还值得一提的是感恩节。感恩节是美国特有的最古老的节日,由移居北美大陆的第一批英国清教徒所创。时间为11月的最后一个星期四,主要节日食品有火鸡和南瓜馅饼等。这些食品作为感恩节的节日食品是与生俱来的,也是始终不可缺少的。因为它们不仅能使人追忆祖先创业的艰辛、感谢上帝恩泽,还能激励今人进一步创造更加幸福美好的生活。由上述可见,节日和节日中的饮食习俗是人类生活的最亮点,虽然中西方因地域、历史、文化、思想等的差异造成了各自节日食俗的一定差异,但正是这样才使得人类的生活丰富多彩,才使得各自拥有了吸引对方、尊重对方的独特魅力。从这个意义上说,盲目求同,不但会失去本真,也将使人类生活趋于单调乏味。参考文献:

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